2011.6.17 好きになれない 飛騨高山
失礼な話で恐縮ですが、ご当地の関係者の方は聞き流してください。巻頭で申し訳ない事をまず謝罪しつつ、あえてお話しますので・・。
ラーメンで一番まずいのは何処?と聞かれたら、まず答えるのは高山です。
①高山②長浜③佐野・・・がワタシのうまいと感じる店がない、まあ月並みな何処にでもあるラーメンです。それに観光用のパックはとびきり高杉さんです。店も高いです。とびきり観光値段です・・・。
尾道も決してうまい中には入りませんし、そんなご当地ラーメンは多々あります。でも、高山は何故かラーメン以外でも好きになれない雰囲気がありましたねぇ・・。
それでも高山には3度ぐらい足を運んでのことですから、悪く思わないで頂きたいです。あくまで私見ですので、それを皆さまに伝播なんて考えてはおりませんので・・。
以前、商工会の方にも「作られすぎたディスプレイのような街で、映画村と変わらないじゃないですか・・・、だから面白さも期待感も半減なんですよ・・。」とネットのアンケートか何かで2011年夏に申し上げたのですが、返事も返ってきませんでした。確か、何か当たるとかのアンケートだったような・・。だから当たらなかったのかも知れないです。(^-^) 別に当たる外れるは、これはどうでもいい事なんですが・・。
ただ、ここだけは見学して保存が行き届いていることに感心しました。
と、此処で終わりです。
後は街へ・・。でも、多分に「造られた観光地」で、何か引かれるものが無くて、とても興味をそそられる、そんなものも何一つ感じられませんでした。
売り物はラーメン一色・・・。そんなもん何処でもあらぁな~~と、これがワタシが辟易した理由かも知れません。醤油の縮れ細麺、麺に味が無いのは長浜と変わらず・・なんてそんな気がしました。
まだマルちゃんの生麺の方がうまいです。
こんなうどん屋でも結構いい値段取りますよ。
ただ、この街は通るだけ・・・?
一見古いものを大切に保存と見えていますが・・・、
単なるショウウインドを並べてあるような街の造りで・・・
この犬矢来意味があるのかな?と・・。京都の犬矢来は犬の小便よけ・・、と言うよりも泥棒・侵入者よけの性質を持っているのです。道がすぐ家の横にあり、溝も掘もないからです。これ、デザインはいいですが、溝を挟んでの犬矢来は余り意味をなしていないのでは?。ただ、見栄えのために意図的に造ったものですよね・・。
それがメチャ気にいらんのですわぁ・・・
いったいこれだけの狭い一角を歩くだけで・・・「見所」というのですかねぇ・・。
何故か気に入らない雰囲気がある街です。祭りの森なんか最悪・・・・。 辟易する・・・・。
「造られた観光地」というのはいつか飽きられてしまいます。そんな気がするところでした。もう行きたくないナンバー1です。それでも年間200万人が・・・?。
しかしぃ、始めてブログで否定的な街を載せてしまった・・。気を悪くされた方はごめんなさい。深くお詫びします。あくまで私見ですので聞き流してくださいますように・・お願いします。
沖縄の冬 2012.12.26 ③
海の様子をもっと見たかったのですが、時間が決められているのかコースを走って終わりなのか、時間の過ぎるのが早かったです。
見学時は意外に遅かったボートも、港に帰る時は早かったですよ・・。次の客を乗せて回転速くして稼がないと・・・と、もうスピードでしかもWエンジンでご帰還ですよ・・。(^-^)
ボートを降りてから海岸を歩いてみます。
次に来たのは沖縄ガラス細工の窯元。なんでも、戦後進駐軍・・・、いや改め占領軍が出した膨大なサケのガラスビンを利用するところからこの産業は始まったらしいです。今ではそれが地場産業として息づいていますからね・・。
最初はこれごみ捨て場かと思ってしまいました・・。違うのですよ・・。
薪も積んでありますから倉庫なんでしょうねぇ・・・。
こんな店があります。
屋根の上にはシーサー・・。月も出ています。
このシーサーは誰が作成者か知りませんが、沖縄を代表するゲイジツカ、反戦平和の画家・陶芸家なる金城実氏は話せば長い話になりますが、昔昔にお世話になった方です。ところが金城センセはワタシの事は覚えておられません・・・。 もうかなりのお歳かな・・。昔はスラリとした、一風変わり者の青年でしたよ。金城センセのヘタな英語(失礼ですねぇ~^^)がとても魅力でしたね。
ガラス細工の工場です。回して回して・・・
膨らませて~~~、
そしてこんな見事な作品に生まれ変わるのですよね。見ているだけでうっとりします。
わぁ、すばらしい・・。ワンダフル・・・。おまけにビューティフルやんけ・・。
わおぅぅぅぅ・・・・、見事です。
最高ですわぁ。
小さなグラスを二つ買いました。今、ひとつ・・・ブルーは割れてしまいましたが、グリーンの方は生きていますよ。
もう一度工場を見ます・・。
「オレもしたいなあ・・・。」と独り言。
「あかんあかん・・、おまえには無理や。一人前になるまで何年かかる思てんねん・・、弟子は取らん!。」と言われてしまいそうですねぇ・・。(^-^)
こんなものもあって・・・
それも絵になるかわいらしさで・・・、
シーサーがにらみを利かせていて・・・・、とこんなガラス工房でした。
で、もう沖縄から自宅へのご帰還です。
那覇空港です。民間と海上・陸上・航空自衛隊にメリケン軍も使用しています。
ならず者国家の支那に寝込みを襲われないようにしっかり防衛お願いします・・・。ペコm(_ _)m
この飛行機は鹿児島行きです。鹿児島で一旦伊丹行きに乗り換えて帰りました。
面倒だけど仕方無くですよ・・・。鹿児島では時間が中途半端で、市内に出るにも帯に短し・・・、で飯食って茶を飲んで時間を潰しました・・。
これは何処かわからないです・・・・。m(_ _)m
沖縄も、もう一度行きたいところになってしまいました。やはり温暖で自然が豊かなのは魅力です。海もきれいです。今年の冬は近場で温泉、白浜に予約を入れていますので来年の冬に沖縄と宮古島を考えようと思います。
ただ、遠いですねぇ。飛行機で2時間・・・、わずか2時間ですが北海道よりも遠いです。
沖縄でも宿題が残ってしまいました・・。ユイレールに乗っていないのですよ。これに乗りたかったなあ。なおさら行かないといけないですよね。
今回、写真が意外と少なくてかなり端折っていますので見所が載せられていないかも知れません。またの機会に掲載いたしますので・・。
沖縄の冬 2012.12.26 ②
美ら海水族館です。なかなかすばらしい水族館です。感激しました・・・。(^-^)
水族館って好きです。結構楽しめますからね・・。
ワシはアップに耐えられるんじゃあ~~てな顔をしていますね・・。年齢はわかりませんが万年生きるとすれば仙人級ですよね・・。亀仙人てのがどこかにいましたね・・。(^-^) そうドラゴンボールで・・。
このイルカは別の水槽で泳いでいた奴です。賢いって言うのか狡猾っていうのか、ホントたまげました・・・。
一度目はゆっくり水槽を回り、再びワタシの前に来て顔を出して潜り・・、そして三度目にワタシの油断の隙をつき顔を出して一気に潜水した時に尾びれで水面を叩いたのです・・。そして、向こうで顔を出して「キキキ・・・。」と奇妙な笑いをだして喜んでいました・・。
ワタシは「イルカちゃん賢いねぇ・・・、ホント賢い~~。」、としぶきを拭きつつ褒めてあげながら、「このガキぃ・・、造りにしてもたろか・・、テリ焼きかぁ・・。」とさらにいたずらを称えてあげましたよ・・。
イルカって、かなり確信犯的ないたずらをするものだとびっくりでした。
沖縄がいくら暖かいと言っても冬ですよ~冬。頭から水をかけられて喜べませんわなぁ・・・。
こんな奴イルカあぁぁぁ~~~。
これはイルカちゃんのショウです。おきちゃんです・・。(^-^)
すげえぇぇぇぇ~~~。
「飛ばな照り焼きにされるもん・・。」との声が聞こえました・・。(^-^)
ぞうの鼻です。ここから、戦争中に沢山の方々が亡くなられたことに思わず合掌です。
カメラは「ミノルタディマージュ」でした。ポケカメにしてはとてもきれいに撮れています。雲から差し込む光や微妙な色調もとらえてくれています。このカメラも段々と老いている頃でしたが、それでも頑張ってくれていました。電池だけですかね・・、一度支那製の安いのに替えたのは・・。
ミノルタは一眼でもレンズセットの安いのは開放が甘すぎてピントもかなり甘甘でした。昔のSRT101のようなカチッ!としたのが期待できませんでした。一度買ってすぐに手放して、それ以後はミノルタはディマージュだけでした。
腕への重さではキャノン、値段の重さではキャノンにニコン、シャープさではフジというところですか・・。これは私見ですから参考にされないで下さい。
デジタルではライカは使ったことが無いですが、フィルム時代のライカ・・、確かにきれいなのですが、使ってみて国産と違いがわからなかったです。ニコマートの友達の方が綺麗に撮れていたみたいです・・。ワタシの腕の悪さもありますが・・・。(-_-;)
この日の泊まりはサザンビーチリゾート。安くて綺麗ないいホテルです。まさにお値打ちです。夕飯はバイキングですが、まあ品数も多いです。これは朝焼けです。早く起きて撮って見ました。ディマージュでこんなのも撮れるのですよ。
これも朝焼け。朝日が顔を出しました。
薄っすらと港も朝日に照らされ・・・たって、こんな工事中の港なんか美しくないです。(-_-;)
カーテン超しに・・・。
今日は観光船に乗ります・・。
船底がガラスになっていて、浅い海の中を見渡せるのがよかったです。ただ、たまにこんな綺麗な海の底にコーラの缶が落ちていて、これはガッカリでした。
確かに観光客の中にもマナーの悪いのんおりますからなあ・・・。
半時間ほどのクルーズで、観光船は終わりです。
冬の沖縄って、ホントすばらしいです。確かに昼間は暑いくらいでした。
この時期、北海道は大雪だったのです。
いま、ブログを書いているこの時間にも(2016.11.5)帯広の戸外気温は-5℃。積雪です。
過去に一度、冬に新千歳で大豪雪のために飛行機が飛べなくなって、さらに一泊余儀なくされたこともありましたからね・・。
同じ日本の気候の差でも亜熱帯性と亜寒帯性の気候差は歴然です。
北海道は渡道歴2016年現在で21回ですよ・・、知らない季節がないというマニアぶりです。(^-^)
ということは・・・・、一度に4日としても約80日。長いときには一月いましたからかなりの日数になりますよね。
でも、何故皆さんも北に憧れるのかは不明ですが、長い間に北から南に降りてきた祖先のDNAなんですかねぇ・・。私見ですよ、あくまでも私見・・。
沖縄はもうひとつ③がありますので宜しくお願いします。
沖縄の冬 2012.12.26 ①
沖縄だけは何故か行ったことがなかったのです。学生時代はメリケンの施政下だった事もありパスポが必要だったこともありますが、汽車が唯一走っていなかったからです。
たったそれだけの理由で長いこと「損」をしていました。思いの外すばらしい土地でした。思い込みって怖いですねぇ・・。いやあ・・、反省です。
伊丹空港です。これを潰そうなんて輩がいるのには唖然ですよ・・。
こんな市内から近い空港って無いです。今でも「大阪国際空港」が正式名称ですよ。
関空と比べたら、そりゃ狭いけどな・・・。(-_-;)
で、飛び立って一路沖縄・那覇へ・・。
着いたら、何処に行くこともなく晩飯は国際通りのステーキハウスへ。
ここはシェフどんのパフォーマンスが人気です。塩・胡椒のこの入れ物をクルクルと回して、パッパ!と振りかける妙技は実にすばらしい・・・・。
この後はホテルに戻り、ゆっくり寝ました・・。昼からの便に乗ったので時間が充分に使えず、これは失敗でした。
で、次の日守礼の門へ・・・。
これです。
こんなものです。
復元されています。
街が遠くに・・・。
首里城です。時間が来るまでお役人さま・・・・開けてはくれません・・。
中に入って、庭とか・・
室内の様子を見ていきます。
王様が座る椅子なんですねぇ。
この後街へ出て・・・。
こんな通りも見ながら・・・。
これ植物園でしたっけ・・、名前忘れました・・を見学します。
本物のパインですよねぇ・・。
フルーツランドという処でしたっけ・・・?、。記憶が飛んでいます。
どうも興味をそそるもので無いと思い出せない性格なんです・・。
これは「ちゅらうみ水族館」です。
かなり広かったですよ・・。
園内をくまなく歩いて回りました。かなり広すぎて迷子になりそうな(-_-;)そんな気がしました。
オッサンが迷子になっても笑われるだけです・・。ヤキが回ったか痴呆が来たか・・なんて、取り合ってもらえないです・・。
幸い、一度歩いた道は、きちんと覚えている方ですので、迷子の心配はありませんでした・・。
②で、水族館の続きを見てください。(^-^)
桃岩荘について熱く語ろう
皆さま、ブログをご覧頂き、ありがとうございます。魔法耳です。今日は励ましのお言葉とともに、ご質問を頂きましたので少し趣向を変えて「桃岩荘」について語ってみました。
「魔法耳さん、こんにちは。もう若くも無いと言われるのに、何故若者の宿泊施設桃岩荘ユースに泊まられたのですか?。また行かれる予定もありますか・・。」
と言うメールを頂きました(これはワタシの言葉です、メーラーさんのコピペはしていません(^_^)/~)。
何故って言われても困るのですが、桃岩荘は私達の世代に取っては青春の原点とも言うべき処でして、何も無い、自然しか無い、最北である・・と言う、青春時代を彷彿するのに最も素直になれる処・・と言うのがホンネであるかも知れません。
そりゃ、現在のユースにしては会員料金で3240円(税込み)、夕飯1080円(税込み)、朝食648円(税込み)は高いかも知れないです。これだけで4968円についてしまうのですから・・。しかも夕飯はタコカレー、かき揚げ丼、中華丼の繰り返しメニューです。
ワタシが札幌で泊まったビジネスは食事無しですが4000円でしたので、プライバシーなどを考慮すればやはり知らない方には???がついてしまうと思われます。
同じユースでも、宿泊代や食事代ももっと安いところもありますからねぇ・・。しかもサケも飲めませんし・・。
だけど、自然が好きなら、自然に触れたいならこれ以上の最適の場所は他に無いと思います。
毎年、7月に来て9月の終わりまで滞在される年配の方もおられますし、毎年やって来る方も大変多いようです。
論より証拠で、来年一度行かれてみる事をお勧めします。きっと、あなたの既成概念も 世界観も大きく変わると信じていますよ。(^_^)/~
桃岩荘は今年度の営業は9月末で終えました。5月末まで長い眠りに入ります。来年の夏にワタシも、再び足を運びたいです・・。
礼文の、あの雄大な自然のすばらしさ・・・筆舌尽くしがたいほどの感動なんですから・・・。
♫山た~かくして夢がありぃ~~山高くして唄があるうぅぅぅ~~。(^_^)/~
昔のフェリーターミナルです。さらに昔は「うすゆきそう」の絵もありませんでした。
今のターミナルです。2階から乗船します。
桃岩荘の全景です。昔は右の平屋のみでした。トイレと風呂も場所が異なっていました。左の増築の2階が食堂になっています。それと3階は女子の部屋です。
手前の白い建物はベン&ジョハウス。便所ではありません・・。ベン&ジョンソンという喫茶です。いつも開店休業のような気配・・・・。
色も塗り直して、綺麗になっています。とても昔の鰊番屋とは思えないですよね。
古い時代の写真です。
これも・・・。
桃岩時間は10時35分ですが、日本の標準時では10時5分です。時差があります(^_^)/~。
トイレの張り紙・・・。男子用には 「朕〇を、右に左に振る人は、おのれの人生棒に振る。」(^_^)/~てな事が貼ってありましたよ・・。
これ、使っているの見たことないです・・・。
古~~い二層式洗濯機。昭和の名残が息づいています。
蚕棚の男子ベッド。き、きったな~~い・・、なんて言うことなかれ・・。
清掃は行き届いていますからね。
夜のミーティングです。これ今年のではないですかね・・。お盆頃ですかねぇ。
拝借した写真です。
すげぇ沢山の人が泊まっていたんだ~~。お盆の頃かなあ・・。
昔、平屋時代はここに長テーブルを並べて食事タイムにしていました。今はそのテーブルも2階の食堂で元気ですよ・・。
お歌の指導です。ヘルパーさん、実に明るく爽やか・・、熱心で親切です。
港への道の説明・・。トンネルを抜けると右手に入る道がありまして・・・・
少し登り切ったところに案内表示があるので、それを左手に進み・・・・、笹藪の道をどんどん進んで行くと道の終わりに家が1軒あり・・、その角を左手に上がれば道路に出て・・・、
道路を進んでいけば右手に散髪屋があり・・・、その前を通って道を降りれば右手方向が香深の港です・・・、というような説明です。(^_^)/~
物覚えいいでしょ~~~~ワタシ。(^_^)/~
愛とロマンの8時間コース・・。オッサン3人だと愛は生まれないですよねぇ・・。(寒!) ロマンもあるのかな・・(^_^)/~。あくまで女性がいないとですよ・・・。
朝食券です。お盆の頃ですねぇ。
夏でも寒い日もあります。
お迎えの儀式・・・。
せ~~の・・。
「おかえんなさ~~い・・・。」ドドドン・・・。ガラガラガラン(鳴り物の音)
「たっだいまあぁぁぁぁ~~。」と元気よく入って来ます。
ヘルパーさん達。みなさんいいオトコにいいオンナに写っています。ホントにいい人達ですよ・・。
左ヘルパーのアベさんと青年・・・。2人の笑顔がいいよねぇ・・。
これも夜のミーティング・・・。
これも・・・。
もういっちょう~~ミーティング。
ミーティングの後のしばしの歓談。青いシャツはバーニングさん。神奈川の数学の元先生。夏の間は桃岩にずっとおられる常連さんです。だから若い!。
戸外でのお見送り。遠い世界にみんな旅立ち、そしてまた礼文に戻ってきます。
いつの日か又会えると信じていますよ。(/_;)
精一杯のお見送り・・。感動です。そしてさらなる感動と言えば・・・、
「また帰ってきま~~す、ありがとう・・。」と歩いて港に向かう人達の別れの場面です。
そして、港での大感動の別れ・・・。船が見えなくなるまで声をあげて、精一杯見送りが続きます。桃岩に泊まっていない人でも声をあげて感涙にむせんでいました。
桃岩荘は温かいです。気候は寒いが心が温かい・・。
「お元気で~~~。」と又会う約束を固くかわし・・・
「ありがとう~~。」の声がやがては聞こえなくなって、香深の港も遠く小さく・・・。礼文ほど感動の島は他にはありません。
こうした光景が夏の間は、毎日、そして日に幾度となく繰り広げられて・・・・、
日が過ぎるにしたがって礼文の思い出が大きく心に甦り・・・、また帰ろうと決意して・・、それから何年も何十年もの歳月が流れていくのです。
感動の島、礼文は自然とともに、人の情が 美しい・・・・。(涙)
この雄大な景色に心打たれない人はいないと聞きます。
夏の短い間に咲く礼文敦盛草・・・、実に優しく可憐です。
清楚さと美しさと優雅さと・・・・・、ひっそりと咲くうすゆき草。
その名を取った「礼文温泉うすゆきの湯。」利尻が綺麗に見えますよ。
お湯よし、人よし、眺め良し・・・(^-^)
バイク借りるならキャットロック、その名も「猫岩」。
また、このブログを参考にしてください。
いかがでしたか・・・。少しでも礼文の魅力、そして桃岩荘の魅力と楽しさに触れていただけましたか・。
またワタシも、来年の夏の旅が待ち遠しいです。
その日までさようなら・・・。
ご連絡は、 mahomimi@hotmail.co.jp まで宜しくお願いします。 <魔法耳>
2016.10.29 東京鉄道博物館 ④
ここから④は資料などが中心です。結構見応えはありましたけど・・。(^_^)/~
昔の山手線のトンネルと説明には書いてありました。真ん中の彫り物も展示されてありました。
ヘッドマーク二つ・・。
鳩の車内の様子です。こんな列車は子供の時に乗りたかったですよ・・。当然、乗ったことが無いです・・・。
東京~大阪間が昭和31年11月19日に電化されたことで、蒸気機関車の時代が終わり、東海道全線に新たな新型車が投入されました。それが「こだま」です。昭和33年(1958)11月1日に東京―大阪を当時最速の6時間50分で結びました。日帰りが可能になったと私が子供時代に持っていた鉄道絵本に出ていましたよ・・。最高時速163kmは狭軌では世界一の早さでした。もちろん、日帰りたって、行って帰ってくるだけが関の山ですよ・・。仕事を済ませて~は無理な話なんですが・・。
当時の片道は1等運賃2,380円+1等特急券1,920円+特別座席券1,800円、合計6100円と出ていました。こ、これって当時の大卒の初任給の半分ですよ・・。(汗) 往復で今の価値に換算すれば20万円というところですよね・・。怖!
当然、こんなの乗ったことなしですよ・・。子供時代にオカンに連れられて、オカンのオヤジ(祖父)の葬儀で東京まで行った時には汽車でしたよ・・汽車。8時間以上かかる、汽車・・それも2等車。窓を両方つまみを持って開ける、床は板張りの・・向かい合わせの座席の・・!。こんな「こだま」に乗りたかったなあ~~。せやけど貧乏でしたからねぇ・・うちは。
新幹線が出来ると、こだまもつばめも精彩を失っていきます・・・。
昔の駅のスタンプです。
国鉄ありがとう・・、さよならって奴かな・・(^-^)。
Japan National Rairoad の「National」が取れただけですやんかぁ・・・。
ならJRなんて呼ばないで「日鉄」にでもすればよかったのに・・・・。メチャ、ダッサーって言われてしまいますよね・・。(汗)
これは東京鉄博うりものの「シュミレーション」です。高崎線を走っているところなんです・・。
写真ではリアルさは出ていませんが、運転席に座ればまさに運転しているような臨場感です。
この坊主が、いえお子様が今日の運転手・・・(^-^)。
未来の鉄道マンですねぇ・・・。
これは蒸気機関車です。私も一度目に来た時にこのシュミレをしました。もち無料ではありません。500円だったと思います。記念に軍手をもらいました。レバーは軍手をはめて行います。車体が揺れるのでまさにリアル感が体験出来ます。ただ、圧力弁の操作とかがシュミレであるのに難しいのですよ・・。当時、機関車で働いていた運転士の方は相当な技術者だったんですねぇ・・。機関車って前が見にくいだろうと思っていたのに、それがよく見えることに驚きました。いい勉強させてもらいました・・。
で、売店に寄ります。
こんなのや・・
こんなのも・・・、
それにこんなのだって・・・
まだまだあるぞ・・・・
どうや~~!シールやで・・・「北斗星」買いましたで~~(^-^)
と、ここで「写真はダメです・・。」とお叱りを受けてカメラを慌ててしまいこみました。
関東の方は「ダメです・・。」と言われるので「ハイ!」と素直に従えますが、大阪でしたら、「写真あかんで・・。」とキツメのイントネーションになるのでムカつきます。
まだエグイ人なら、「写真あかんやろ~~アホ~~。」と余計な言葉がつくのでそれがケンカになってしまいます。大阪弁恥ずかしいですわぁ・・・。関西って下品なんですよね。
ワタシは他人さんに「アホ~なんて失礼な事は申しませんよ・・決して。(-_-;)
7時に東京駅に着きました。その後、日本橋まで行き食事をしてから駅に戻り、ホームに上がるとほどなくのぞみが入線してきました。
まだまだ人の多い時間帯です。
で、東京鉄道博物館はおしまいです・・。パチパチパチ・・・・。(^-^)
2016.10.29 東京鉄道博物館 ③
やっと11月になり更新できました。では、鉄博の続きです・・。
団子鼻の新幹線です。ボランティアらしいGサマの説明を一組の家族ずれらしい人達が聞いておられました。
これですわぁ・・。始めて新幹線に乗ったのは名古屋まで大学受験に行くときでした。もう朝一番の新幹線に受験という事もありワクワク感はなかったです。
ホンマ、こんなのでしたね・・。
まだ、大学生になった時も4時間かかっていましたよ。ずっと後ですよね、時間が大幅に短縮されるようになったのは・・。今では日帰りなんて当たり前ですからね。
「死んだ医者」・・・。では無いです。「寝台車」です。よく乗りました。懐かしいです。一番多く乗ったのは「日本海」でした。青森から大阪までは必ず利用していました。寝て帰れるのが魅力です。西鹿児島から乗った春に、国鉄のストライキで2時間以上遅れが出て、特急券が払い戻しになりました。ラッキーでした(^-^)。九州旅行の帰りでした。昭和49年4月8日です。
係の人がこのようにセッティングしてくれます。寝台車は座席が3人ですが広々と座れるのが特徴でした。
こんな風にカーテンしめて、カーテンの隙間から車窓を見ていると、流れていく景色の中に様々な人々の生活が垣間見られました。家族の団らんや、また通夜の様子であったり、夫婦げんかが行われていたりと、一軒一軒違った生活の営みがありました。
それを見ていると、とても侘しい気持ちにかられたものです。走馬燈のように・・と言った方がいいかも知れませんね。懐かしい思い出です。
こんなのもありました・・・。
開拓使と書いてありますがいつの頃なのか・・・・。
一階は一巡しましたのでエレベーターで屋上に出ます。
東北新幹線が屋上から見られるようになっています。プラレールが、いえいえ・・・、ニューシャトルが走ってきました。(^-^)新幹線に寄り添うように、邪魔にならないようにひっそりと場所が確保されている・・なんて微笑ましいです。
室内に戻ると・・、こんなステンドグラスが・・。ステンドグラス作家の今西センセ見ていますか?(^-^)。あなたの作品は・・・・。無いなぁ・・・。
これはやはりプロの作品ですよね。そう言えば今西センセ、まだ別荘の仕事場にお籠もりかなあ?。たまにはお茶でもご一緒しませう・・・。連絡しますので・・。(^-^)
2階にはジオラマの部屋がありました。このジオラマよりも恐ろしいジオラマを完成させた模型屋のオヤジがおりましたねぇ・・。千葉のミドリ模型のオヤジ・・、まだ生きてるのかなあ?。まあ、どれたけ凝るのかというようなすさまじいものでした・・・。ありゃ基地外の域ですよ・・。何しろ他人に見せるのさえこばみます。列車を動かす時には鉄道員の制服に帽子ですよ・・・、コントローラーが、また列車の運転席そのもの・・。言葉が出ないです・・・。やはり基地外そのものです・・。と、褒めていますので(^-^)。
新橋駅の模型です。開業当時みたい・・。
こんな機関車だったとか・・。エゲレス製です。当時は機関車の運転手はお抱え外国人のエゲレス人でした。
これやな・・・・。(^-^)。
線路は現在の線路と異なり、すり減ればひっくり返してまた使うという両面使用です。ただ、これのデメリットは犬釘で留めることが出来にくいため、両側から挟み込まなければならず、段々とこの形は使われなくなったようです。安定悪すぎ~~~。
こうして資料を見ているだけでも時間の過ぎるのを忘れてしまいます。車両だけで無く、古い資料が意外と面白いのですよね・・。
二階も当然二度目ですが(^-^)、飽くことなく楽しめました。いや、入館料の元を取ってやるぞ・・とばかりにしっかり見て回りましたよ。
何度も行くのはためらわれるにしろ、やはり一度は見にいくことも向学のためにはいいかも知れません。だけど・・・、関西からは遠いです。いくら片道2時間半の世界になったとは言え、距離感は半端ではありません・・。上京の折に、ついでに行ってみるのが正解かも・・ですね。