2016.10.29 東京鉄道博物館 ②
ニューシャトルを降りてこの屋根の下を進みます。以前並んだ時はこんなの無かったように思うのですが・・。確か左横を走っている道路も丸見えでしたし、こんな重々しい光景ではなかったように記憶しているのですが・・。
館内でその点を職員のオネーサンに聞きましたが、「わかりません。」と言うことでした。
屋根ができて暗くなってしまいましたね。
通路にこんなモニュメントがいっぱい・・・
通路のタイルは新幹線の時刻表ですよ・・・
すぐに玄関に到着。雨の日でも濡れないようになっています。以前はシャトルを降りてから雨だと濡れたような????。いいえいえ、雨ではなかったので記憶は曖昧です。
券売機も変わりました。入館料1000円は同じです。
スイカが使えるようになったのと、ややこしくなったのが以前とは違う感じです。
まっ、無難に入館カードが出てきましたが・・・。(^-^)
内部に入ると・・、
こんな車両も、
それに子供時代に関西では片町線や阪和線を走っていたような車両もあり・・、
確かにすばらしいのですが・・・
何かが足りない・・。
実に絵にはなるのですが、
やはり面白みがないというのか・・・
物足らんです・・・。
これはターンテーブルを連想させるようにしているのですよね・・でも、何か
ピリっとするようなものが無い・・・・
これ、いつも何気なく見ていた旧国鉄時代に車両の後ろに貼られていた他図です。
ダンゴっ鼻の新幹線100系。頭はボケたので載せませんでした。
大阪環状線や東京山の手線で色違いで走っていたものですねぇ・・。
天皇さんの御料車も展示されていましたが、ガラスの中に入って内部は見られなかったです。以前はガラスはなかったのでは?。
展示車両は特別「これが見たかった~~。」というのが無く、京都鉄道博物館のように動体保存がされているわけでもなにいので、これが物足りない理由だったのかも知れません。
「つばめやんか~~、オマエまだ生きてたんか~~。」
「生きてんで・・、オメェとは函館本線以来やなあ・・、オメェも歳取ったなあ。(^-^)」
なんて車両との会話が、全く無いのですよ・・。
懐かしさが違う・・、これが結論ですね。小樽記念館のように、義経やしずかのように室内展示がされていても、それだけをもっと眺めて触って乗り込んで・・・という配慮が無いのがここの物足りない原因かも・・ですねぇ。
ミュージアムでなくティアターっぽいところが致命的なつまらなさに繋がっているのですよねぇ・・。
ん~~、これならマニアさんに飽きられるのが分かる気がしました。
1000円の値打ちは、はっきり言ってないです・・・。200円かなあ~~(^-^)。
小樽の入館料400円はホント安いです。
もう来えへんワァ・・・・という寂しい気持ちになりました。
もっとアップしたかったのですが、10月のブログ限度を超えたとかで写真かの掲載が出来ません。で、11月1日以後に・・・。少し待ってください。
名古屋も北九州にも同じようなものが出来ています。これらも近いうちに行ってみたいです。
私はとちらかと言えば移動の手段に鉄道を利用してきましたからね・・。取り立てて「鉄」にのめり込んでいるわれではないのですよ・・。嫌いじゃないし、好きなのですが、好きの観点が少し違います・・。
では、11月1日にまた③と④を見てください。
2016.10.29 東京鉄道博物館 ①
朝早い大阪駅、人影もまばらに見えますが、15分間東海道線の電車待ちをしていたら、ハッ!とした時にはすごい人の波にびっくりでした。午前5時25分です。
これから新大阪に向かいます。いつも東京に出かける時は6時3分の新幹線のぞみを予約します。
まだ夜明け前ですよ・・。
岐阜県の辺りで夜が明けて、町の様子がわかりやすくなってきました。
と・・・、この辺りから爆睡です。富士山も見るぞ~~と思っていたのに、目が覚めたら車内の掲示は「熱海駅を通過しました。」湯河原近辺でした。で、車窓の景色を見ていると、
新横浜です。
都内に入って、品川までの間に街が広がり・・・・
車内に目を向けると、私の嫌いな藤原竜也の広告が・・・。
勝亦電気が見えてきたらもうすぐです・・。
こんな車両も止まっています・・・。
これも車窓からの風景・・。
四谷駅の、普通ホームから見上げた光景。
午前中は新宿区にいました。昼になり、昼飯に東京ドームホテルへ・・・。
今日はレストランの予約をしています。(^-^)
さすが~、ホテルでのメシの写真は場所がら撮りにくいです・・。仕方無く断念。
水道橋を降りて・・・。
帰りに、ドームホテルを撮ってみました。
信号待ちの間に・・・。
水道橋駅です。ここも滅多に来ないです。久しぶりですわぁ・・・。
かなり雰囲気変わりましたよ。ガードはそのままですが・・。
アキバはたまに来ますが、こちらの出入り口は使わないです。反対側の、電気街の方からいつも降りています。
快速で40分、快速たって各駅停車とたいして変わりませんが、それでも各停よりは20分速い・・・。で大宮へ向かいます。
大宮の友達に会いたかったけど、時間が無いのと連絡もしていないので今回は断念です。まあ、元気にしていると思っています。
大宮駅も大きく変わりましたよ。シンカンセンが止まるし、すっかりターミナルに変貌しました。昔はもっと汚い駅でしたが・・・。
大宮から大成へ向かうニューシャトルです。これ、車輪がついていませんよ・・。タイヤですね。
車内です。結構狭い・・・・。
何か連想させてくれる気配・・・・(^-^)。
そうなんです。子供のプラレール・・・。(^-^)。大人はこんなので遊びませんが、この頃オッサンのプラレール愛好家が増えていると聞きます・・・。マジかい?。ちょっと引きますわぁ・・。
ホント、狭いです。終点の内宿までは行ったことがないです。
東京交通博物館は2度目です。一度目は開館2年目でした。初年度は入場制限をするほどの人の波でした。
2年目も、入れなかったらどうしょう~~と総武線のアキバから4つめ、亀戸のビジネスホテルに泊まり、朝まだ暗いうちに飛び出したのですよ。
9時前には博物館に並びました。確か10人ほどはもう並んでいました。蒸気機関車のシュミレーションの順番を確保する為です。もうワクワクでした(^-^)。
10時の開館には30人程度の人で、思わぬ拍子抜け・・・・・。
だから今回2度目は昼からです。入館したのは午後3時頃でしたよ。それでも時間は有り余るほどありました。
帰りの新幹線は午後8時40分発ののぞみ・・。時間だけは充分に確保しています。
2度も来て、それも大阪からですよ~~、思うのは小樽鉄道記念館(現在総合公園)のように敷地は広くないし、また車両が室内展示なので実に綺麗でリアルさに欠けることでした。
もっと自然のままがいいです・・。といいながらしっかり遊んだ様子を四回に分けてアップしていきます。(^-^)
2013. 7.29 立石寺に・・・
山寺も始めてです・・。せめて一度は後学のために行ってみたいと思っていました。何しろミーハーですから、この際に・・と言う気持ちです。若い頃は下北の恐山とか、東津軽郡の田舎町から竜飛崎などと、まあかなりヘンコ(変わり者)の旅ばかりしてたのですからねぇ・・。それはそれで楽しかったけど。
津軽浜名の無人駅から今別方面に歩いた本覚寺というユースに泊まった時、夏だと言うのにワタシひとりだけだったんですよ・・。寺でお泊まりですよ・・。怖!ブルブル・・(。、)。
もう今はユースは廃業しているようですが・・。
次の朝、部屋の外でガサガサ音がするので障子を開ければ墓地でした・・。うひゃぁぁぁ・・・。墓地では墓を移すとかで土葬のホトケさんの掘り出し中。縁側に座って眺めていたら、割れた棺桶の蓋が開いて骸骨に濡れた髪の毛が絡みつき、色の変わった着物がやはりご遺体に絡んでいるのを見て、思わず後づさりしてしまった・・。(S48.8.11朝6時の記録。)
こんな体験そうないですよ・・・。そう言えば子供の時に一度目、中学生の時に二度目、40の時に三度目の列車に引かれた轢死体も見てしまった~~。
三度目なんか、弁当買いに行く途中ですよ・・。どういう訳か「ハンバーグ弁当」買って来て職場で食おうとして、肉の飛び散った血なまぐさい光景をふと思い出したら弁当が食べられなかったというお粗末も~~。
ジンセー意外になさそうな体験を数々させてもらっています・・。(泣)
本堂です・・。これで終わりではない・・。
ここを通らないと登れません。
で、芭蕉のおとっつあん・・・。
ここから上がるのですよ。
団体さんに混じって説明を聞いておきました。(^-^)
この道を進んで・・・
せみ塚も見て・・・
まあまあ、ここまでは健康でした。
とっころがぁ・・・、この辺りを過ぎてから喘息が出て・・・、
ひどい呼吸困難になって、ハァハァゼィゼィと言いながら、シャツも汗だらけになりました・・・。もうダメだ~~と思いつつも、せっかくここまで来たのだから・・・と
気力だけでここからまた上りだしました。
もう、途中のトイレでシャツも脱いでタオルをハァハァ言いつつ水に濡らせて絞り・・・・、何度もしゃがみ込んでの繰り返しです。
その横を歳よりが元気に笑いながら追い抜いていきます・・。
誰も「大丈夫。」とも言わず、わぁ世間の奴らは冷たいやんけぇ~~と、怒り心頭で何とかまた進みだしましたよ。
それでもポッケからカメラ出して、写真も撮って・・・
こりゃ体力の限界だわぁ~~と喘息を恨んで休憩です。
時とも無しに出るのがびっくりです・・。
「これから喘息出るで~~。」「ハイ、了解!(^-^)。」とはいきません・・。
向こうから見ている人が、「こいつ死にかけとんのんちゃうか・・。」とあざ笑っています。「ゲ・・、ゲンキになったらシバイたるからな・・・。」、とともかくまた登ることにします。
「ハアハア、ゼイゼイ、ハッハッハッ、ドクドクドク(心臓の音)・・・。」、ともうここから写真も撮れずです。
でも、一通り最後まで上り、また降りてきて境内の茶店で休むとかなり元に戻りました・・。
茶店の長椅子床几で横になっていたのですよ・・。
何とかたどり着いた空港です・・・。
やっと仙台空港・・。この旅は喘息が出たためにガッカでした。
機内から写真は一枚だけ・・。
まあ、ジンセーいろいろな事があります。奇想天外なんて別に珍しいことでは無いかも知れません。
やはり感じることは、日々元気でないと楽しくは過ごせないという事ですよね。
これからも楽しく過ごしたい・・・、だから体をいたわらなくては・・。(^-^)
と、あたり前の事をつい真剣に思ってしまいました・・。
「ジンセーは夕方から面白い・・。」って元気であればこそです。これを見て下さっているあなたも気をつけて過ごされますように・・。(^-^)
2013. 7.28 奥入瀬から岩手の中尊寺へ
十和田プリンスホテルです。庭のきれいな落ち着いたホテルでした。プリンス系は何処もきれいですよね。新横浜のプリンスも新高輪のプリンスも落ち着く雰囲気でとても好きです。
おっさんになればユースは全く泊まらないですよ・・。
この夏に桃岩に泊まったぐらいです。大抵シティホテルです。(^-^)
これ十和田湖の様子です・・。走りながら撮るのが難しいです・・・。
で、着いたのが奥入瀬渓流。
雨の後で水量が増えていました。奥入瀬は十和田湖に流れ込むのではないのです。十和田湖から焼山まで14㌔を流れています。以前はこの14㌔を歩いたのです。
何しろ若かったですので・・。今は少しだけにしましたが・・。(^-^)
案内板を写し忘れましたが、オンナ山賊が旅人を襲う云々・・・というものでなかったではないですかねぇ。そのアジトがどうのこうのと書いてあったような・・??。
美人であれば襲われたいように思えますが・・。背中に負ぶわせて、グサっとやられるのはやはり怖いですねぇ(^-^)。
瀧の名前はわかりません・・。
これが一番大きい銚子の瀧でしたっけ・・。
発荷峠からの眺めです。十和田湖唯一の眺望です。
ここから中尊寺・・・。始めてです。コンクリートの建物の中に「金色堂」が納められています。写真撮るな・・・と書いてあったので、内部は撮れていません。決まりはいつも守ります。(^-^)黙って撮ってやりゃよかったかも・・。
まるでプラモデルを連想させるものでした。金色堂って国宝なんですよねぇ・・。
さすが保存が手厚い・・・。
この中に「金色堂」があります。奥州藤原氏四代のミイラがあると聞いていたのですが、ミイラなんて無くて須弥壇に納められているようでした。な~んだ・・、とガッカリしました。藤原清衡、基衡、秀衡のミイラと泰衡の首はきちんと保存されているようです。ホントか嘘か見た訳ではないので断言できないですが、遺体はミイラ加工された後があるとウィキペには出ていましたねぇ・・。まっ、時代が平安後期にあたるし、加工していないと現代までにはとろけるチーズになってしまいますよね・・。(^-^)
これはネットで頂いたものです。ガラスケースに入っているのですよ。一説には鎌倉時代にはもう回りを覆われたようです。昭和に入って、解体修理も施されて、コンクリートの建物の中に納められ、しかもガラスケースに入れられて・・・というようです。平安期からそのままでしたらこの輝きはありませんからね。
これがホトケさんみたい・・・。何宗と聞かれたら言葉につまりますが、中尊寺は天台宗です。
天台中興の祖と言われる慈覚大師円仁の開山です。慈覚は地味な天台宗に嫌気が刺して、真言のド派手さをパクリ、密教のパフォーマンスを取り入れて天台宗をかき回したんですよ・・。意外と知られていない慈覚の姿です。それ以後、天台も真言も似たりよったり、まっ義兄弟みたいなものなんですよ・・・。最澄さんが生きていたら、きっと激怒したでしょうねぇ・・。そりゃ信長センセに比叡山は焼き討ち食うわけですよ・・。
まっ、これが仏罰なんでしょうが。(^-^)
能舞台です。
ミイラが見られなかったのが残念です。今度は日本のミイラツアーもしてみたいです。
で、何処に行けばミイラが見られるのかと言えば、山形県鶴岡市の注連寺に安置されている鉄門海上人の即身仏が結構有名です。このボッサマ、修行の妨げになるとかで、男根を切り取ったとか言われていますよねぇ・・。ワタシゃマネできませんが、一度見てみたいです。
か・・、かなり気味悪いですか・・・、こんなミイラが、言え言え即身仏が・・・今わが国に17体保存されています。
山形県が意外と多いのです。
ち、ちょっと食欲失せますかねぇ~~(。、)
やっぱ・・、ミイラツアーはやめとこう~~。
2013.7.27 松島と十和田湖に行ってみました
松島は始めてなんです。若い時は東北も長く徘徊しました・・。でも松島には行ったことがなかったです。日本三景、天橋立も安芸の宮島も行っているのに松島だけ知らないとは・・・で、行けば雨でした。
感想・・、いまいちピンと来るものが~~~。
遊覧船に乗ります。雨に濡れないチエです。かなり大粒の雨が降っていました。
窓の外は雨・・・
雨が止んでから五大堂に・・。
こんな橋が3つでしたっけ・・、ありました。(^-^)
古いです。でも、イマイチ感激無いのは何故?。
周辺を歩いているうちに雨が止みました。何気なく写った他所のGさまも傘を畳んでいます。
瑞巌寺にやってきました。雨が止むと歩きも楽しいです。
これは「いわれ」ですねぇ・・。
まっ、この程度・・というのが正直な気持ちでした。寺社仏閣は余り好きでない~~~。
で、やって来たのは十和田湖ですよ・・。十和田湖!。青春の思い出の十和田湖ですよ・・。
いやあ、思い出します・・。日が暮れて、ユースで知り合ったオンナの子と二人で手をつないで歩きました。まだ「純」だったから手だけです・・。それでも楽しかった夏の思い出です。(^-^)
当時は博物館ユースホステルに泊まっていました。日にちも正確に会員証を見ればスタンプの日付が48年8月9日。8日、9日と連泊でした。ジーパンを洗濯したので乾くまでいたのです・・。
そうかぁ、青春の思い出は8月9日だったのです・・。その後彼女とは11月5日に再会しています。
いやぁ・・、青春は美しいな~~とひとりごとです。(^-^)
乙女の像も変わってないですねえ・・。「あっためぇや・・、変わったんはオマエだけや~~。」なんて声が返ってきたら、きっとひるみますよね・・。怖!(^-^)
この砂浜も昔のたたずまい・・。
思い出すなあ・・・。まだ20歳でした。
遊覧船です。当然乗ります・・、いや乗ってみたい。昔は乗れなかったのです。そんな発想がなかったのです・・。
こんなのです・・。ドキメキますぅ・・。(^-^)
こんな小さな湖ですが、神秘なたたずまいには引かれます。ただ、カメラが悪い・・。雨なのでニコンクールピクスS3500なんです。
で、この日の宿は・・・
十和田プリンスです。ディナーがうまかったです。
もちろんコースメニューですよ・・・。(^-^)
一度来て、今度また来たい・・と思っても、それが随分先になってしまうのです。
ようやく、再び来た時には昔の感慨はいずこ・・という具合に大きく変わっていたり、当時の感激も遠のいていることが多いです。
次の奥入瀬渓谷もそうなのかなあ・・。まだ若かったですから重いリュツクを担いで焼山から子ノ口まで14㌔歩きました。
その時のワクワクした気持ちが味わえなかったです。最も二度目は長い距離ではなかったですが・・。
年齢による感性の衰えかも知れないです。やはり旅は若い日の方が得られる糧は大きいと思いますねぇ・・。まっ、オッサンになってしまうとたかだか観光ですから・・。(^-^)
2011.8.29 島原・天草に・・・
口之津から鬼池へはフェリーが出ています。「まぼろしのヤマタイ国」を書いた宮崎康平氏の持論が、ヤマタイ国は島原説です。
本当かどうかは定かで無いにしろ、まあ夢があっていいじゃありませんか・・・。
この本はワタシも持っています。なかなか奇抜で面白いです。
宮崎氏が常務をされていたのがこの島原鉄道です。鉄道は乗ったことがありますよ・・。昔は火砕流なんて、想像もしなかったです。
島原と言えば、多比良から熊本の長洲にフェリーで渡ったことが思い出されますよ・・。
多比良の港で船が着くまでリュックを枕にごろんと寝転んでいました・・。するとイカ焼きを売っていた屋台のおばあさんを手伝う5つぐらいかなあ・・、娘さんが「あのオジチャン乞食?。」とおばあさんに聞いていました。
おばあさんは、「そんな事言ったらいけん・・いけん・・。」と孫をたしなめていましたが、こちらにはきっちり聞こえていました・・。(^-^)
で、起き上がろうとしたら娘ちゃんが「おじちゃんハイ・・。」と蜜柑を2つ持ってきてくれました。ギャア~~、ヤッパ乞食やんけ~~(泣)と、ここで奮起してイカ焼きを買ってあげました・・。
なんで~20歳の青年がオジチャンなのかは別にして・・、「オニイチャン乞食じゃないよ・・。」と娘ちゃんには蜜柑のお礼とともに笑って伝えておきました。
「じゃあ・・なに?。」「おにいちゃん、旅行しているダイガクセイ・・・。」
「フーン・・。」とわかったのかわからないのかはいいにしても、旅で乞食に間違われたのは後にも先にもこれが始めてですねぇ・・。まっ、足下はつっかけ、ジーパン、Tシャツの上にジャンパーの前を開けて・・・とくれば、やっぱ・・、カタイさんかコツジキさんだわなぁ・・・。(^-^)
懐かしい思い出です。婆さんはもう亡くなったやろなぁ・・と思います。当時50代後半か60代だったような・・。孫娘ちゃんももう40後半、もしかすれば50はじめかも・・・。島原って、人情に厚い土地柄ですよ・・。何故か忘れられない思い出ですよ・・。(^-^)
鬼池の港です。
これはホテルのレストランからの眺め。ホテルの下はサンセットロードと言って、夕日の名所になっています。
♫き~み がぁ ょおわぁぁぁぁ~~~と思わず出てしまいそう。(^-^)
窓のレースのカーテンをたくしあげて撮りました。
もう沈んでしまいます・・・。2016夏、礼文の夕日に感動したことが昨日の事のようです・・。
朝、部屋から町の光景を・・・。
まだ夜も明けきれぬ中を朝日に期待したのですが空振りでした。
大江天主堂に行き・・・
島原の資料館に行って、そこから町を取り・・・
天草五橋を渡り・・・
とこれで終わりに・・・・。
天気がよくてよかったです。島原は以前は島原城と原城跡。鉄道に乗って単線の景色を眺めて・・というだけのものでした。熊本に渡ってから、熊本の松鶴という今は無きユースに泊まり、ここでいっぱい友達できました。この連とは今でも仲良くさせてもらっています。
若い時はよかったですよ~~。何故か夢がありましたねぇ。そりゃ、オッサンになっても夢はありますが、何しろ感性が全然違いますからね・・。
そんな感性を失ってしまうと、やはり老けてしまうんですよねぇ・・。
あ~やだやだ・・、もっと充実した楽しいジンセー過ごすぞ~と思いますねぇ。
来年は北海道、それも23回目の北海道ですよ・・、バイクひとり旅を楽しみにしています。
気も早く、昨日2年ぶりにブレーキフルード入れ替えて、今日はプラグも替えました。7千㌔、交換していなかったですしね・・。近いうちにエンジンオイルも交換しなきゃ・・・。
プラグレンチがお道具箱から見つからず、あわててホームセンターに走りましたよ・・。870円、1本いりますからねぇ・・。しかし、後で気がついたけれど、ブラグのネジ切りにグリス塗り忘れましたぁ・・・。(。、)まっ、大丈夫ですやろ・・。
いつもやってない事をすると、ついポカしてしまいます。
大江天主堂に行ったのはいいにしても、崎津天主堂に行くのを忘れていたんです・・。また宿題が残ってしまった・・。
2011.8.28 虹の松原・平戸・九十九島に・・・
虹の松原は昔のことですがユースホステルがありました。そこで泊まって唐津線で九州の旅が始まったことを思い出します。20歳でした・・。
その頃は何もかもが楽しかったですね。見るモノすべてに感激、感動の頃でした。
虹の松原は2回目です。鏡山から松原を眺めるのは始めてなんです。
ずっと遠くまで松原が広がっています。
これ、何処の駅でしたっけ・・。平戸口駅でしたか???。
焼き物の里です。ここも始めてです。そう思えば、見ていない処も多くて、飛ばし回っていたことを後悔しました。
のどかな光景でした。
ここは松浦郷土資料館です。以前も来たのですが、ぜんぜん変わっていない気がします(^-^)。
ち、ちょっと・・・他所のオッチャンがワタシが写真を撮っている前を通ります・・。向こうに見えるのが平戸城です。
昔は丁度この向かいあたりに渡し船が通っていました。それが今では大橋が出来て、すっかり風情を無くしてしまいました。便利になったのと引き替えに、失うものもあるのが残念ですよね・・。
こんな屋根が続く風景って何故か好きです。
新しい名所にするとかで建設中です。
あちこち、こんな坂道が残り・・・
ありふれた田舎の店が連なっています。昔はもっと元気があったのですがねぇ・・。
ここからは佐世保に入って、九十九島の観光船乗り場です。もちろん、昔はこんなものに乗ることはありませんでした。始めてです。若い時は観光とは無縁でしたからねぇ・・。九十九島も来なかったです。
言葉がいらないですよね・・。
港に船が戻ってきて、港付近をブラついたりして過ごしました。
しかしぃ~、行ってないところってまだまだいっぱいありますよね・・。九州で26歳から仕事で5年住みましたが、それでも数え切れないぐらい、知らないところが多いのには愕然とします。
九十九島、思ったよりも素敵なところでした。(^-^)