去年(2015)の冬は湯布院
地震が起きる前です。さかんに湯布院のヨイショをする雑誌を見て、よ~し・・、今度は行ってみっか・・と行く事にしました。宿は山水館を予約できました。
まず北九州は「小倉」の日豊線の乗り場の様子からです。
か、かしわうどん・・・、食べたくないです。(。、)かしわ(鶏肉)は食べられません。宗教的信条、いえいえ・・・ただの好き嫌いです。
こんな電車に変わってしまっています。私がこの街に住んでいたとき、もっとボロい電車が走っていました。もう遙かな昔です。わずか5年と言いますが、その5年が限りなく長かったですよ~。
タンコーで重労働5年か禁固5年のような長さでした。
最も街には住んでいません・・。郡部のド僻地でしたけれど・・。収容所ではないです・・(^-^)
向こうのホームに止まっているブルーの電車。「青のソニック」です。これら乗ります。この電車がこちらに来るのでしょうねぇ・・。長崎編で写していた青の電車覚えておられますか・・・?。
で、中はこんなの・・・。
ガラスの扉を開けて先にはトイレもついています。トイレがすごくモダンでびっくりしました。かなりの広さを確保していましたねぇ。
海が見えてくれば別府も近しです・・。
この駅は別府か大分か忘れました。
九大本線に乗り換えます。途中で、この駅で対向からの列車を長く待っていました。
そついでに外に出て駅横の風景を一枚・・・。
対向から電車が来ました。これが湯布院の森号ですか?。何分マニアではないものでわからないです・・。
湯布院の駅前です。向こうの山は由布岳です。
駅も大きく変わりました。私は若いときにはこの駅も通過しています。茶色の、古めかしい各駅停車の列車に乗ってこの駅でも止まった時、降りるか止めるか迷った事がありました。当時は木造の改札口で、駅員が一人切符を受け取っていました。列車からずっと見ていたんですよ。当時は春の季節に似つかわしくない横殴りの雨。やはり降りなかったのです。迷わず久留米に直行。「まっ、またそのうち来るやろ・・。」てな事を思いつつ、42年の歳月が流れました。
すっかり時代は変わって、近代的な駅に変身しています。
まっ、湯布院の町を歩いています。な・・、なんかオレっちには違和感を覚える町です。作られた観光地。その言葉が頭に浮かんで来ました。
これも・・・。
このケバイ店も・・・、
古民家を改造した喫茶も・・・、
自然は誰もようイジラんですけど・・・、やはりみんな人造観光地ですよ・・・。
こんな・・・・
さらにこんな・・・・、
ヘタレな沼が「金鱗湖」という名前をつけられて・・・・いっぱしの美しい北海道の湖などと対等に、同列に、しかも格式ぶって・・・なんて許せない気がしました。
地元の人・・、ごめんよぅ・・。でもそう思ったんです。この沼のほとりに建つランプの宿が人気だとか・・・。で、なんで~~・・・?と思いました。
イヌのぬいぐるみは好きだけど、こんなの見ると「多分に観光地」という、つまらなさを感じてしまいました。
これは泊まったホテルです。駅近です。
窓からの景色・・。段々陽が落ちてきれいですが、何か物足りない・・。何が~と言われても困るのですが、とにかく満足度は限りなく低かったです。
ホテルのサービスはよかったのですよ・・。それがせめてもの救いだったかなあ・・。
あ~、きっと昔此処の駅で降りていたなら、「こんな鄙びた町がまだあるんだなあ・・。」ときっと感激したと思うのですが、きれいになってから来ても旅情は味わえないですね。
写真には撮っていませんが、金鱗湖に行くまでに狭いパーキングにバス・バス・バス・・・。略した漢字に、謎の象形文字反愚流がいっぱい・・・。選択を間違った旅でしたね。
でも、昭和40年代後半の頃と平成27年では同列に考える方が無理があるのですけどねえ。それも考えないといけないと思います。
まあ、「青のソニック」に乗れただけでもよかった・・・。(^-^)帰りは白のソニックですよ・・・。大分~博多 ソニック、博多~長崎 つばめ・・・、白はつばめだったんです・・。
湯布院の帰りは大分の街をブラブラ・・・。