2017.11.3 熱海
久しぶりの熱海行きです・・。(^_^) 新幹線から浜名湖が見えました・・。浜名湖って、若いときに東京に行った帰りに寄って見ました。そのまま帰れば面白くないなあ・・と新幹線を新富士で降りて身延線に乗り入山瀬まで行き、ふもとの家ユースに泊まりました。まさしく富士の裾野・・・、富士が斜めに見える雄大な光景でした(^_^)。
次の日が、この浜名湖。もう今は無き浜名湖ユースに泊まって、自転車を借りて知り合った仲間たちと浜名湖大橋を通り一週しました・・。もう、あのようなすばらしい日は返らないです・・・。(/_;)
新幹線から富士が見える事って、ホント運がいいのですよ・・。雲に隠れて見えない事も多いです。
富士川鉄橋を渡ります・・・。どうも高速で走る物からはミラーレスの致命的な欠点・・・、シャッターのスピードと焦点迷いが出てしまいます・・。かろうじてこれ一枚が撮れました・・・。
新富士の周囲も大きく変わりましたねぇ・・・。
こんな工場越しの富士も味があります・・。(^_^)
十国峠に登りました・・。
もう何度も来ている、珍しくもない風景ですが、ご親戚は初めてとかでお連れしました・・。写真は過去のものです。
標準27ミリで見ればこのくらいに富士は小さいです(^_^)。
ケーブルカーで降りて見ます・・。
低い山にしても、歩けば時間がかかります・・。ケーブルカーだと数分です。
すれ違いが楽しみですねぇ・・・。拍手~~(^_^)。誰も拍手いなかったですが・・。(/_;)
杓子峠から見た富士・・・。雲海が素敵でした。こんな光景も珍しいです・・。
これが標準です・・。
この日は大涌谷まで行き、ロープウェイで芦ノ湖畔まで降りる予定でしたが、連休で車が大渋滞・・・、ちっとも動きません。で、切り返して再び反対側に進み、1号線に出てから箱根駅伝コースを復路で走り(^_^)、箱根湯本に出て、小田原の手前から海沿いに湯河原・・、熱海へと戻ってきました。道はお手のものです(^_^)。まあ、ナビ君もいましたからね・・。しかし、人間ナビ(ワタシ)の方が正確でしたよ・・。
このホテルに泊まりました。いつもこのホテルです。昭和の名残を引きずっていますが、利点はどの部屋からも海が見えます。ワタシの部屋からは熱海湾を跨ぎ市内が・・、反対の部屋は相模湾が見えます・・・。このホテルは親切で、しかも便利なんですよ・・。夏は花火も綺麗に見えます・・・。
熱海の街です。
14階ロビーからです・・。フロントが最上階・・、客室は下に降りる形です。珍しいですねぇ(^_^)。
伊豆にはこのようなホテルが結構ありますねぇ・・。海岸に建つと、道が山側について、どうしてもこのようになるのかも知れないです・・。
錦が裏の一部です・・。じ・さ・つの名所です・・。飛び込めば、木に引っかからなければ岩に打ち付けられて絶命、体は波にさらわれて太平洋まで運ばれてしまいます・・まさな怖!。ここでよく釣りをしている人を見かけましたが、今年はいませんでした・・。
2日目は韮山に来て見ました・・。
韮山反射炉の資料館です。江川邸との共通券を買って中に入ります・・。
この方が別々で買うよりは安いのですよね・・・。
この反射炉で鉄鉱石を取り出して大砲を作ります・・。以前、どこかの中学校で太陽の熱を反射させるから反射炉・・・なんて教えたと言う馬鹿教師がいたらしいですが、反射炉と言うのは溶鉱炉の熱をうまく天井まで反射させて、熱効率を高める釜の事を言うのですよ・・・、なんで太陽が出て来るネン・・、馬鹿教師!ですねぇ・・。(>_<)
こんな教師に比べれば、さすがにワタシの方が専門性は高いです・・、エヘン(^_^)。
このたすき掛けは後世になってから保存のためにかけられたものなんです・・。元々は煉瓦積みのままでした・・。古い写真を見ればですよ・・。
湯口です。ここから溶けた鉄が流れだして来て、この四角の中に作られた鋳型に流し込まれると説明には出ていました。大砲は真ん中だけ開けて鋳造するのかと思いきや、後で数週間かけてくりぬくのだと知りましたよ。そのくり抜く動力が水車なんです・・・。へえぇぇぇ・・・。賢くなりました(^_^)。
これはレプリカですが、こんな物を作っていたのですねぇ。
メチャ広い庭です・・。
屋敷の台所です。
内部が資料館として公開されています。
で、熱海の東海岸町に戻り・・、
貫一つぁんとお宮はんです・・・。
もう見飽きましたよ・・・(/_;)。ちっとも面白くないです・・。
ここからはアカオローズガーデンです・・。ここも何度も来て、もう魅力は無く・・・・。(/_;)
庭園は恐ろしく広いです・・。それに整備がよく成されて、いつ来ても綺麗です。
でも・・、もう見飽きましたかねぇ・・(/_;)。
で、入り口を撮っておしまいです・・・。どうも自分のペースで動けない旅行はシンドイですよ・・・。(/_;)
これだけの写真なのに、掲載するまでにやたら時間がかかりすぎました。もう気力の問題ですねぇ・・・。もっと早くすればよかったのですが、11月も後わずかで終わり・・。何とか月内に間に合わせる事ができました・・。ハァ~~。(/_;)
2017.8.25 湯村温泉②
なかなか手がつけられず、自堕落な為に放っていました湯村温泉②をやっと掲載出来ました。(^_^)/~今回は苦しい闘いでした・・・。ハァ~(/_;)。
2日目はオブションを頼んで、日本海のグラスボートに乗ってみることにしました。
グラスボートと昼の海鮮丼付きです。でも、この日はワタシ・・・とんでも無い事になってしまいました。(/_;)
これがグラスボートです・・。沖縄のような、ゆっくり走りながら海の中を見るものと思っていました。あながち間違いではなかったのですが・・・。(/_;)
港を出るときには何ともなかったのですが・・・。
この辺りまでは何ともなかったのですが・・・
ゆっくり走ると思っていたグラスボートが・・・漁船みたいに吹っ飛ばすものでワタシは船酔いになってしまいました・・(/_;)。もう縦に横に揺れるのですよ・・。
そなえつけの小さなゴミ袋を握りしめて、何度吐いたことか・・・。
もう冷や汗は出るし、頭痛もするし・・・でさんざんでした。(/_;)
それでもオェオエやりながら、木口小平さながら・・死んでもラッパを離しませんでした・・いや、酔ってもカメラは離しませんでした・・。
酔いながら、オエオエしつつ写真なんて撮れるものじゃあないですよ・・・(/_;)。
日本海って、夏でも波が高いのですかねぇ・・。もうグラスボートには乗らん~~と思いましたねぇ・・。
こんな、島の波打ち際には洞窟がいくつも見えていました・・。
船の底に張られたガラスです・・。魚なんかいません・・。もう下を見る度に気持ちが悪くなり、吐きまくりです・・・。ゲボ~~。
それでも外を見たいのは執念ですよ・・・(/_;)。
みなさんはお元気です・・・(^_^)/~。ワタシだけ酔っています・・・。(/_;)
船長が、今日は洞窟に船を入れてみます・・とアナウンスしたので皆さん大喜びでした・・。(^_^)/~ワタシは、ただひたすら気分が悪く、ナイロン袋を握りしめています・・・。(/_;)
洞窟の中に入りました・・・。
このネーサンなんか元気ですねぇ・・。羨ましいわぁ・・(/_;)。
出口が近づいてきました・・。
この岩すげぇ・・・・。船酔いにも関わらず、ひたすらシャッターを押し続けています。(/_;)
もう港まで戻るのにも吹っ飛ばすのですから、ワタシはちっとも船酔いが良くなりませんでした・・。で、やっと港について・・・ホテルに戻るマイクロバスが出るまで食事を終えておいてくださいね・・・と言う事でしたが、海鮮丼を注文してある食堂までが苦痛でしたね・・。食堂について、土産物屋のロビーの長椅子で横になっていました・・。従業員の方に、「すみません、こんな所で横にならせてもらって・・。」とお伝えすれば、「船から下りた方はよくそこに横になっておられますよ・・。笑」と毎度の事のように言われていましたねぇ・・・。こんな調子で海鮮丼は食べられず・・・、箸をつけたものの、とても気分が悪くて2口ほどで箸を置いてしまいました。(/_;)
夏以来ですよ・・・。北海道の宗谷岬で海鮮丼を食べようと店に入れば酢飯でダメだったし・・・、どういう訳か海鮮丼に嫌われてしまっていましたよ・・(/_;)。
やっとホテルに戻り、気分が良くなったところで再び町の探検・・、いや散策です。
腹が減ったのですが、この町は気の利いた店がありません・・・。(/_;) まあいいや・・・、一食食わなくても死にはしないし・・ですよ(^_^)/~。
昨日の源泉のところにやって来ました。
こんな光景いいですねぇ・・・、家族の温かさがほのぼのと出ています。ワタシも坊主とタータン(娘)のチビの時にはこんな様子でしたよ・・・。(^_^)/~ ちなみに、ウチの娘はもうオネェ以上でオバサン未満です・・。でも、合いも変わらずタータンとオヤジからは呼ばれています(^_^)/~。
設定が狂っていました・・・。(/_;) コントラストが悪いです・・・。
これで元に戻って・・・。
写真屋さんのウインドウです。
夢千代館に続く手前のところです。足湯ですが、すごく汚い足湯でした・・。またボロぞうきんのニオイがしそうでパスです・・。
この卵を温泉につければいいのですねぇ・・、でも10個の値段としては高い。
スーパーで168円、特売98円ですよ・・。駅前のスーパーなら玉は小さいが138円です。卵って、大きいから黄身が大きいとは限りません(>_<)。「黄身」がなければ「気味」が悪いですねぇ・・、「君」のせいや~~と言われそう・・(>_<)。
この階段を上りたかったのです・・。飽くなき探求心。
上まで登ってきました・・・。(^_^)/~
道路に出ました。前はバスセンターでした・・。
道路を見てから、また階段を降りて行きました・・・。
昨日見なかった面白いものを発見・・。古いカンバンが並べられていました。すごい趣味ですよねぇ・・。実は~~、ワタシ古いカンバンが大好きなんです・・。この頃、余程田舎に行かないと見られなくなりましたね・・。
東山千栄子さんのオロナインなんて懐かしいですねぇ・・。東山さんは昔・・、花菱アチャコさんと「お父さんは女好き」じゃなかった(^_^)/~、「お父さんはお人好し」というラジオ番組を長く続けられていましたねぇ・・。いゃあ、懐かしいです・・。こんな番組知っているだけで歳がわかってしまう・・・(>_<)。
崑のオロナミンに由美かおるセンセイのアース渦巻き、南利明センセイのジンセンアップ・・・懐かしいなあ・・。(^_^)/~
松山容子センセイのボンカレーでレトルトのファンになりました・・。(^_^)/~このボン売り出しの頃は白いレトルト袋で賞味期限が2週間だったのですよ・・。(^_^)/~
水原弘センセイのハイアース、よく使ったものです・・・。(^_^)/~
このカンバンほしいです・・・。
どれだけ知っているものがあるかを見れば、すべて知っていますよ・・(^_^)/~。
もうユイツなんて売ってないですよね・・。
虫さされ・かゆみ止めの「ムヒ」で有名な、富山の池田義恵商店 (池田模範堂)の総合感冒薬「ユイツ」・・・(^_^)/~。
池田模範堂では、他にも、肩こり「ムヒホン」や頭痛薬「ノーヂ」 等のホーロー看板が存在しますよ。
これは知らないです・・・。初めて見ました(^_^)/~。
この糸、子どもの時に良く見ました。糸巻きの両端にカネボウの紙のシールが張られていましたねぇ・・。
メンフラは今もありますよ・・。パッケージは変わりましたが売っています。肩こりの湿布です・・。
しかし、すばらしいです・・・。
この門を入ったところに張られていました。この通用門をお持ちの方は後のホテルのオーナーさんです。ご自分のお屋敷をホテルにされたようですねぇ・・。
三好屋さんの別館から本館に移動する時に見た古いポスターです。
この別館の廊下を歩いて本館に戻ります。
川をまたぐ通路の上から・・・。
反対も・・・(^_^)/~。
本館に出てきて・・。
これで家内との1泊旅行は終わりました・・・。
この次の日から、ワタシは四国ツーリングに出発したのですよ・・。ようやく夏の写真が全て整理出来てホッとしています・・。(^_^)/~
しかし、しばらく掲載しなければ面倒になってしまい、明日延ばし・・・ですからねぇ。もう冬の手前なんですが~~(^_^)。/~
2017.8.25 湯村温泉①
8月27日に四国に行く前に、1泊で湯村温泉に行きました。湯快ガーデンが取れたのですよ・・。湯快は梅田から旅館まで、往復のバスを走らせてくれています。有料ですが、それがとても便利なんです。
この日のバスは往復とも、大型バス一台にお客が6人・・・という、びっくりするような状態でした。夏の終わりですからね・・。(^_^)/~
行きは、多分時間調整の為なんでしょうねぇ・・・、鳥取砂丘に寄ってくれました。
鳥取砂丘は昔にチラと見た程度・・。この日は海まで出て見ました・・。
このリフトの無料券を貰いました。昼食を申し込んだのでオマケです・・。リフトで下っていきます・・。
道路の上を渡り・・・、
道路の上には網が引かれています・・。落ちた人いるのかな?とチラっと思ってしまいました。(^_^)/~
終点が見えて来ました・・。
リフト乗り場からは砂が続いています・・。砂を拾って投げる人もいません・・。
投げられたらきっと言ってしまいますよね・・。「すな~!。」(^_^)/~
海が見えて来ましたが、これが以外と遠いのです・・。あの山に登ってみようと簡単に考えていました・・(^_^)/~。
ところが・・、近づくにつれて意外と砂山は高いのです。ニンゲンの大きさから
わかってもらえますよねぇ・・。
これは肉眼で見た光景・・、上の一枚はズームです・・。
登ったらこんな景色が広がっていました。日本海は7月の北海道以来です・・。でも、海の色が違います・・・。
これは登る時の様子です・・。こんな風に砂の上を歩いていきます。結構時間がかかりましたよ・・。(>_<)
降りてから振り向いて一枚取って見ました・・。
砂山を下りても、こんな起伏が続いています。一番向こうがリフト乗り場です。もう暑いのなんのって・・・・。ヘロヘロになりますよ・・。(>_<)
雲も夏の終わりの雲ですねぇ・・・。
湯村の町の中を歩いて見ました・・。大して見所も無く・・・。
この辺りがメインストリートになります。取り立てて何も変化もないのですが・・。
ちょっと画になる光景が見られたので・・。
湯元に来てみましたら・・・
足湯があって・・、でも足をつけてみればここのお湯臭かったです・・。(>_<)
こぼれた牛乳をぞうきんで拭いて、絞ったニオイがしました・・。ギャア~~。
こんな風景はすきなんですがねぇ・・。(^_^)/~
足湯の客を一枚・・・。きっとぞうきんのニオイがしますよ~~。(>_<)
こんな狭い町なんです・・。
昔の造り酒屋でしょうか・・。
和菓子屋さんのウィンドウです。
面白い店を発見!(^_^)/~
ババアカフェです・・。(^_^)/ギャハハ・・。
人生ピークは90歳てか・・(^_^)/~。
よ~し・・、何があっても反省しないからなあ・・。元々,反省する性格ではありません。自己批判なんておよそ無縁のニンゲンですからね・・、ワタシ。(^_^)/~
だから元気なんですねぇ・・。
自己批判なんざ北弔の兄弟の狂散頭にまかせておけばよろしい・・。(^_^)/~
迷ったから入りませんでした・・。(^_^)/~。ババアの顔見て珈琲でもないやろ・・。
味が変わりそう・・と迷ったら止め!を実行・・。(^_^)/~
どんなオババか知りませんよ。クシャクシャのババアなのか、吉永小百合先生のように美しい御婆様なのか見てはいませんが・・。
とにかく路地が好きなんです。路地には生活があふれていますからね・・。あの、東京タワーのお膝元の裏路地も見事な生活臭ですよ・・(^_^)/~。汚っちゃないアパートがあったりします。
これは風呂屋ですねぇ・・。当然パスです・・。
足湯の反対側から見て見ました・・。
すると、橋のすぐ横に・・・
夢千代さんがおられました・・(^_^)/~。夢千代さんは実在だと思われがちですが、早坂暁さん原作のドラマですよ・・。この像の顔を見てください・・。
このお顔は吉永小百合先生がモデルになっているようですねぇ・・。小百合先生は幾つになられても美しいです・・。(^_^)/~ 礼文の、北のカナリアパークも去年・今年と行ったほどの魅力のある方ですよ・・。(^_^)/~
こんなのどかな風景もいいですねぇ・・。
正面の高台のホテルが湯快ガーデン三好屋さんです・・。
ここに卵を10分つけて、引き上げて食べるらしいです・・。温泉卵の出来上がり・・・。でも、ワタシは卵はつけなかったです・・。足湯の、ぞうきん臭が思い出されて・・・。(/_;) まあ、熱湯に足をつけるウマ&シカもいないでしょうが・・・。(^_^)/~
こんな階段大好きです・・・。気になつていたので次の日に登って見ました・・。
人の暮らしがひたひたと感じられますねえ・・。
三好屋さんです・・。
湯村温泉劇場と書いてありました。まあ、簡単に言えばストリップ劇場なんでしょうねぇ。当然潰れて建物はガレージになっていました。今時、ストリップも流行りませんからねぇ・・。ワタシ?、行きたいとも思いませんよ・・。ホント、興味が無くなりましたねぇ・・・。(/_;)
三好屋さんの玄関前から外を見た光景です。
玄関の前は急な坂・・・。
この曲がった坂道を大型バスはバツクで登って来るのです。まさにびつくり・・。正面の狭い橋を渡るのも大変そうでしたよ。橋を渡って、すぐに右折が出来にくくて運転手さんの腕の見せ所でした・・。
やっと半分だけアップできました。もう近頃は写真のアップも根気が無くて、まだ半分残っています。これも近いうちに掲載しますねぇ・・。
夏の記録が初冬になってしまいましたね・・・。(/_;)
9月20日から26日 近鉄奈良店 五丈原さん出店でした・・。
これは近鉄大阪線です。8月終わりに五丈原のご主人から「八木の近鉄で北海道うまいもの市」に出品します・・、と聞いていましたので八木の駅に降りました。
ここで一服しながら、この日呼んでいました美術の大家をお待ちしています・・。
ところが・・・、近鉄橿原展では無く、近鉄奈良店だったのですよ・・・、(/_;)。
でもワタシは怒りません・・。(^_^)/~。
美術家でグルメなI先生をお誘いしていたものの、先生は奈良までは回れずに、この後予定があります・・・と言われましたので、この店で軽く食事をしました・・。ここで川村美術館の所蔵の絵はがき・・・、上村松園さんと鏑木清方さんを頂きました。松園さんと清方さんはホント良く似ていますよ・・。(^_^)/~でも、ワタシは一発に見分けがつきます。(^_^)/~ 。そのあとワタシ一人で近鉄京都線で奈良に向かいました。西大寺まで30分少しです・・。
かなり店は盛況でした・・。ご主人と妹さんにはご挨拶だけしかしていません・・。仕事中に写真は失礼ですので控えておきました。あと、お若いお手伝いの方が何人かおられましたねぇ・・・。
臨時の店舗ですので、やはり本店でいただくのと比べて雰囲気は異なりますが、やはり同じ味・・・(^_^)/~、うまいラーメンでしたよ。
五丈原を食べれば他には行けなくなりますよ・・・。それに・・・、ご主人の人柄が何よりすばらしいです・・。
10月は高島屋柏店とお忙しかったですねぇ・・。無理の無いようにしください・・。(^_^)/~
2017.8.28.~8.31 四国ツーリング③
やっと10月になりましたぁ(^_^)/~。ブログ更新できます・・。最後の写真も貼り付けられます・・。
で、松山の子規記念館までが終わっていたのでしたね・・。では、松山ユースホステルからです・・。
この部屋にひとりでした。
二段ベッドでは無く、パイプベッドの4人部屋です。今はユース言えどもテレビまであるのがびっくりです・・。(^_^)/~
ユースから外を見れば、隣は湯快ガーデン・・・。ここの湯快はとても取りにくいのですよ。一度来たいと思っていましたが、まさかぁユースのお隣とは・・。(。。)
湯快ガーデンの裏側です・・。(^_^)/~
時間を見てください・・。4時40分に起きて、もう5時41分には荷物をくくりつけているのです。何しろ、高松までは遠い道のり。12時には着きたいと思っていますからね。
この写真を撮ってから走り出しました・・。
途中で11号に出るまでに松屋で朝定食を食べ、ひたすら走りました。間の写真が無いのは、なにしろ東温市内を過ぎると石鎚山系の端を走らなければいけないのです。これが険しく、また急なカーブが多く、通行量も多いために写真を撮る余裕は無かったです(/_;)。
西条に入ると松山自動車道と交差します。ワタシが走れない訳がわかってもらえますか?。
こ、こんな高いところは恐ろしくてワタシは走れないのですよ・・。足が震えます~~~。ブルブル・・・。
豊浜に入り、道の駅で休憩を取りました。
で、また11号をひたすら走り続けます。
やっと香川に入りましたが、まだ丸亀の手前です・・・・。時間の余裕があると・・、・・(^_^)/~。
つい寄り道をしてしまいます。11号からそれて丸亀城にやってきました。この城も以前に来て、小さな天守閣も入りましたし、また日本一高くて曲線が美しい石垣も見ていますので今回は外だけです。中に入る時間が実はなかったの言うのが真相です(/_;)。
で、ホームページから一部パクリますね・・・。
切り込みハギは、石垣の構築技術の一つです。石を削り精加工した石を用います。石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいます。整層積みしたものや乱積みとなるものもあります。
丸亀城では大手枡形や南山中の栃ノ木御門跡の櫓台石垣に見られます。
丸亀城三の丸は高石垣で築かれています。特に北側の瀬戸内海側の石垣は高さ20m以上の高石垣となっています。この石垣の隅角部(出隅)の石垣は算木積みと呼ばれる積み方です。角石は長方体の石を用い、長い面を大面、短い面を小面といい、大面と小面を交互に組み合わせ小面の角石の横には角脇石を配することで、より強固な積み方となり、美しい勾配の高石垣を築くことができるようになりました。
ハバキ石垣はサヤ石垣とも呼ばれます。石垣が膨らんだ箇所を崩れないように外側から押さえて保護する役割があります。
このハバキ石垣は山﨑氏時代に築かれたことが分かっています。上に建物が建っていることから石垣の解体修理をせず、ハバキ石垣を築き石垣を保護したのでしょう。
天守閣です・・。中はすぐに急な階段になっています。木造です。木造の城は結構あちこち入っていますよ・・。(^_^)/~
なかなか味のある天守閣です。城は何しろマニアですので・・・・。(^_^)/~
外から櫓の写真を撮り・・・
大手門を撮りに少し中に入り・・・・
ついでに狭間を撮って見ました・・。狭間には丸いのが鉄砲狭間、三角が槍狭間、四角いのが矢狭間だ!という人がいますが、防御するのに形は必要ないと思いますが ・・(/_;)。まあ、ファッション的な形にしたのでしょうねぇ・・。
仮に敵が来れば遠くだと鉄砲、至近だと槍・・と、その時に必要な道具が使われますから、狭間の使い方・・と分類するのはどうもナンセンスです・・(>_<)。狭間の形状で使い分けしたという記録もないですしねぇ・・。(/_;)
「お~い敵だ・・。鉄砲を持ってこい・・。」
「いやあ、これは四角いから矢で狙いましょう・・・。」
「何言うてんねん・・、そんなん届くかい。」
「四角いところは鉄砲ダメですよぅ・・。丸い穴から撃たないと・・。」
「オマエなあ、アスペかボケか~~(。。)。」
なんて会話が行われたことは無いと思いますよ・・(/_;)。 この城は室町時代前期に奈良元安が築いたとありますが、この時代の城は高山城(たかやましろ)というよりは国人館的なもので、本格的に城の形が作られたのは後期の戦国時代。丸亀城は生駒氏によって、江戸期に入る少し前ですから・・・、という事はほとんど狭間は利用されていない~~という事に繋がりますよね・・。
まあ、実戦に用いられた可能性は極めて低いと考えられますねぇ・・。
また社会科の先生みたいな事を言ってます・・(>_<)。
江戸時代には噴水はなかったのですよ・・・(^_^)/~。ワロタ・・・。
で、また11号に出て走れば目に付いたうどん店です。とりあえず入ってみました。トツピングは、げそ天を選びました(^_^)/~。
讃岐平野はこんな山とため池がやたら見られます。ため池は昔と比べれば香川用水が出来てから減ったのですよ・・。この山の向こうを確か行くときに通ったはずです・・。
段々市内が近づいてきて・・。
琴電の踏切を渡り・・・。
もう市内に入り込んでいます。これから、まだ時間があるので屋島に向かうことにしました。
琴電の踏切を撮ってみました・・・。(^_^)/~
あの山の下を右手に曲がれば屋島ドライブウェイです・・。だって、何度も来ていますからね・・。(^_^)/~
踏切で止まっていたら電車が来ました・・・。(^_^)/~
拍手~~~。(^_^)/~
電車の行きすぎるのを待ちます・・・。
源平合戦なんざ遥か昔。地形も大幅に変化している筈です・・。でも、古戦場です。この標識は平安時代からここにあるのですよ~~。(^_^)/~
嘘ですよ・・・。(/_;)
この道の最後まで行けば水族館があります。パーキング代が400円でしたか・・。ですからすぐに逆戻りです。水族館は余り興味も無く・・・。
ヘルメットでアタマがペタペタになっています・・・。(/_;)
宇宙エース・・・(/_;)。たって~誰も今は知らないよね・・・。(^_^)/~
『宇宙エース』(うちゅうエース)は、1965年5月8日から1966年4月28日までフジテレビ系列局で放送されていたテレビアニメである。竜の子プロダクション(現・タツノコプロ)と読売広告社の共同制作。全52回。
タツノコプロが初めて手掛けたテレビアニメである。当時はテレビのカラー放送があまり普及していなかったため、モノクロで制作された。放送時間は、第1話から第48話までは毎週土曜 18:15 - 18:45、第49話から第52話までは毎週木曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。
本作の放送と並行して、吉田竜夫による同名の漫画作品が『少年ブック』に連載されていた。
マンガはおいて・・・と、また屋島です(^_^)/~。
ドライブウェイのパーキングの端に、こんなタヌキが置かれていました。
もう秋の雲です・・。鰯雲ですねぇ・・。夏ももう終わりです。8月最後の日です。
下って来ると入り口の料金所です・・・。しかし・・、
今は無料なんですよ・・(^_^)/~。以前は支払ってましたからね・・。
このあと、国道に出てからうどん屋に入り、最後の讃岐うどんを食べてから港に急ぎました。それでも時間はゆとりがありました・・・。(^_^)/~
この、りつりん2神戸行きに乗船します。
向こうのブリッジはお客さん用の搭乗口です。
この日もメチャ暑くて、建物の中に入るとホッ!としました。四国ではほとんど半袖で走っていました。薄いジャンパーを着たのは日焼けがチリチリで痛かったからです(/_;)。
夏の終わりは人影もまばらです・・・。
まもなく出港です。屋島方面を見ながら、「楽しかったなあ・・。(^_^)/~」なんてしんみりしています・・。
船の中の様子です・・。ホント、人の姿が少ないのですよ・・。
これが、あずきじま(^_^)/~、いえいえ小豆島(しょうどしま)に着くと・・
すごい数のお客さんが乗り込んで来ました。
坂手港を出て・・・
ここから神戸までがやたら長いのですよ・・。日は西に傾きかけています。
見にくいですが、右が四国左が淡路島です。大鳴門橋がかかっているところです。
淡路島は大きいですよ・・・。(>_<)。アメリカと戦争しても勝てそうな大きい島です。独立させるかなぁ・・・。淡路島帝国なんて・・。(^_^)/~淡路玉葱様が天皇です・・。何処ぞの馬鹿独裁国にホントにミサイル作って打ち込まないといけないですねぇ・・。ガンバレー淡路島~~(^_^)/~。ワタシ玉葱天大好き~~(^_^)/~。
このお方が航海士サマです・・。(^_^)/~
デッキに出てのんびり外を見ていると、ふと足下に目が止まりました。この靴くん、南は宮古島から北は礼文までと随分ワタシと一緒にあちこち旅をしています・・。
頼もしい相棒です。(^_^)/~
明石海峡大橋をくぐります・・・、
以前はここをバイクで走り、余りの高さに高所恐怖症のワタシは震え上がりましたよ・・。
夕陽がいいですねぇ・・。
みなさん写真に収められていました・・。
船内です。
フロアーカーペットの室内です。
黒人さんがポツンとひとりで・・・。
新日本海フェリーと比べれば小さいですが、それでも結構快適なフェリーでした。
瀬戸内は揺れなくてとても安心しましたよ・・。
写真はここで終わりです。6時過ぎに神戸に到着して、大阪へと急ぎました。国道2号がかなり混んで帰ったのが午後8時ぐらいでした。
とても楽しい四国ツーリングでした。今度はもう1.2泊伸ばして、四万十と足摺に行きたいと思いました。
国道32号、33号、11号を完全制覇です。(^_^)/~
やっと四国編が完結してやれやれです・・・。(^_^)/~
2017.8.28.~8.31 四国ツーリング②
次の朝、高知を後にして国道33号線を松山に急ぎました。本来なら、四万十に行き足摺を東回りで回って、西回りから宿毛に抜けて宇和島・・松山のコースを取りたかったのですが、この行程だと楽に250キロはかかってしまいます。当然松山に着くのは遅い時間。仕方なく四万十~足摺は次回の宿題にしました。
このコースを取れば少なくとも4泊5日になってしまいます。滑床渓谷も行けるのですよね・・。だから、次は春か夏場に再度やってくることにしました・・。
国道33号に入る伊野の手前、鏡川の上でバイクのナンバープレートを拾ってしまいました・・。仕方なく届けることにしましたが、生憎駐在所が見当たらず・・、下道を走り伊野警察署に持って行きました・・。
伊野警察署で地図を見てください・・、と拡げて見せられたのですが、老眼鏡が見当たらなくて警察署の備え付けを借りました。手続きをして、それはワタシの手を離れて一件落着でしたが、帰りの船の中で伊野署で借りた老眼鏡がワタシのカバンに入っているのを発見・・・!。わぁ、警察で窃盗をしてしまった~~とびっくりしてしまいましたよ・・。(/_;) 老眼鏡送り返そうかと・・・。(^_^)/~
しかし、うっかりして、話し込んでいる時にカバンになおしてしまったとは、まさに傑作でしたねぇ・・・。(笑)
国道33号線は四国山地の、かなり深いところを通ります。でも、あちこち昔のままの所も多いけれど、以外と発展しているではないですか・・・。(^_^)/~
バイパスも出来ていたのには驚きでしたよ・・。
こんなダムがあったり,山間の集落があったりする田舎道です・・。
山深いところですよ・・。
途中で遍路をされている青年に出会いました。お名前を聞き忘れました(/_;)。お元気で旅を続けられますように・・。(^_^)/~
ブログをごらんになったらメールでも下さいね・・。
メールアドは最後につけておきます。
国道33号では、中土佐でライダーハウスを経営されている方とも知り合いました。お名前を忘れてしまいました。(/_;)
大阪から中土佐にやってこられて頑張っていると言っておられました。
この方はカワサキの 「Z1 900 Super Four」に乗っておられました。これ・・、往年の名車ですよ・・(^_^)/~。40年も以前のバイクですが、現在は300~350万で取引されています・・。すげぇ・・・。(。。)また速いバイクでしたよ・・(^_^)/~。言葉を交わしてお別れしてから、あっ・・という間に見えなくなりました。
ライダーズイン中土佐
0889-40-2233
今度、四万十への旅では泊めていただきます(^_^)/~。
宜しくお願いします・・・。
松山にやってきました・・・。
道後温泉です。この建物の周りを道が出来て、右側の古びた昔の遊郭・・、つい10年前ほどには廃墟のようになって残っていた赤線が取り除かれてきれいになりました。
風呂前の道も車が通れなくなり、すっかり観光地です・・。
横に回ってみました・・。
これは裏です・・。皇族の連中専用の出入り口です。
こうして見れば、古い建物なんですねぇ・・。
太鼓櫓もそのままに・・・。でもきれいに塗り直されていますねぇ・・。
やはり・・、街の中は市電・・。市電が中心ですよ(^_^)/~。
いろんな市電が走っていました・・。(^_^)/~それがまた街に映えるのですよ・・。
秋山兄弟の生家ということです・・。外から見ただけで入っていません・・。どうも300円は高杉さんです・・。だから、パス・・・。これだけで300円は高いような・・。
隣は寺になっています。
ここが門ですねぇ・・。
街の中を歩けば、このようないかめしい私学があったり・・・、
道がカラー舗装されて、すっかり観光化していました。
昔のいでたちが味があってよかったのに・・・。
坂の上の雲ミュージアムです・・。入っていません・・。(/_;)
この門をくぐり、左手の萬翠荘に行きました。
大正浪漫を今に伝える、日本が誇るフランス風洋館
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。
その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。
建築その物も美術品ですが現在は、絵画、掛け軸、伝統芸術品、各種イベント、個展を随時行っています。 同敷地内には愚陀佛庵があり句会が行われておりましたが、平成22年7月の土砂崩れにより全壊し、現在は跡地のみとなっております。
久松 定謨(ひさまつ さだこと)
この窓のガラスは大正ガラスですねぇ・・。ワタシにこんな雑学を話させたらもう右に出る人はいませんよ・・。(^_^)/~ 一枚づつの流し込み製法ですのでとても高価なんです。
四角を見てください。この斜めカットが独特な風合いをもたらせるのですよ・・。
この手のガラスは熱海の起雲閣など、残存しているところが極めて少ないです(^_^)/~。
上品な方ですねぇ・・。ここの職員さんは皆さんお綺麗な、しかも上品で笑顔の素敵な方ばかりでした。(^_^)/~
そりゃ、入館料払ってでも入りたいですよねぇ・・、ねっ!。(^_^)/~
萬翠 荘を後にしてから、松山城に行こうと思いましたがバイク専用パーキングは無い・・と断られました。仕方なく城には上がれずです。高知城も上がってませんしねぇ・・。でも松山城も何度も登城していますから、今回はパスです。
街から写真だけを撮ってみました・・。
今のロープウェイ・・、これは昔のワタシが学生時代にもありましたからねぇ・・。楽に城には上がれるのですよ。歩いて上がればかなりしんどかったです・・。(>_<)
正岡子規記念館です。ここは来たことがなかったです・・。出来たのが新しいのかなあ?。
正岡子規について
正岡子規は、慶応3年(1867年)9月17日(新暦:10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現松山市花園町)で生まれました。翌年が明治元年ですから、子規の年齢は明治の年号と同じになります。本名を
自由民権運動に触発され、政治家をめざして明治16年に上京、第一高等中学校、帝国大学文科大学に進学します。しかし、22歳のときに喀血して「子規」と号したころから真剣に文学を志し、大学を中退して入社した日本新聞社で、俳句や短歌の革新を叫び、新体詩を試み、写生文をとなえました。明治28年からは脊椎カリエスの病苦にあえぎながらも、死の2日前まで随筆「病牀六尺」を発表しつづけて、明治35年(1902年)9月19日に亡くなりました。
「写生」に根ざした子規の文学は、多くの仲間とともに子規山脈を形成し、近代文学史上に輝いています。
子規の暮らした家が再現されています。
漱石と子規です。
何処かのオッサンが子規の家に上がり込んで・・・(>_<)。
これらは子規の自筆ですよ・・・。いい物を見せてもらいました。(^_^)/~
子規の死期の様子です・・。
明治の文豪の実物大とワタシ・・。
子規の実物大とワタシ・・。
記念館をあとにして、あてもないままぶらりと街を走り周り、夕飯を取ってからこの日の宿泊ユース・・、松山ユースにむかいました。昔の神泉苑とは違う場所に建てられたユースでした。
びっくりするのは湯快ガーデンの隣でしたよ・・。(^_^)/~
歩いて上がるのは少ししんどいかも知れません・・。
登りは曲がりながらの登り坂です。この日も一般のホステラーはワタシだけで、あとはマレーシアの学生さん達でした。愛媛大学との交流をされていたようです。
オンナの子と二言三言挨拶を交わしただけで、話すことも全くなかったですよ・・。
次の日、洗面所で財布の忘れ物を見つけ、ペアレントさんの代理に届けました。(^_-)
外国でオアシをなくせば学生さんお困りでしょうからね・・・。
しかし、夏とは言え旅の若者がいないのにはびつくりでしたよねぇ・・。松山はとても人気ユースでしたのにねぇ・・。
そう言えば、街の中にあったダウンタウンユースも現在は閉鎖されていますねぇ・・。ここのペアレントの経営でした。現在はゲストハウスとして経営しているとか・・。
北海道でもそうでしたが、夏のさなかで部屋にひとり・・なんて、全く考えられないことでしたね。
四国ツーリング③は10月になってしまいます。また間が開くのが残念です。
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