2017.8.28.~8.31 四国ツーリング③
やっと10月になりましたぁ(^_^)/~。ブログ更新できます・・。最後の写真も貼り付けられます・・。
で、松山の子規記念館までが終わっていたのでしたね・・。では、松山ユースホステルからです・・。
この部屋にひとりでした。
二段ベッドでは無く、パイプベッドの4人部屋です。今はユース言えどもテレビまであるのがびっくりです・・。(^_^)/~
ユースから外を見れば、隣は湯快ガーデン・・・。ここの湯快はとても取りにくいのですよ。一度来たいと思っていましたが、まさかぁユースのお隣とは・・。(。。)
湯快ガーデンの裏側です・・。(^_^)/~
時間を見てください・・。4時40分に起きて、もう5時41分には荷物をくくりつけているのです。何しろ、高松までは遠い道のり。12時には着きたいと思っていますからね。
この写真を撮ってから走り出しました・・。
途中で11号に出るまでに松屋で朝定食を食べ、ひたすら走りました。間の写真が無いのは、なにしろ東温市内を過ぎると石鎚山系の端を走らなければいけないのです。これが険しく、また急なカーブが多く、通行量も多いために写真を撮る余裕は無かったです(/_;)。
西条に入ると松山自動車道と交差します。ワタシが走れない訳がわかってもらえますか?。
こ、こんな高いところは恐ろしくてワタシは走れないのですよ・・。足が震えます~~~。ブルブル・・・。
豊浜に入り、道の駅で休憩を取りました。
で、また11号をひたすら走り続けます。
やっと香川に入りましたが、まだ丸亀の手前です・・・・。時間の余裕があると・・、・・(^_^)/~。
つい寄り道をしてしまいます。11号からそれて丸亀城にやってきました。この城も以前に来て、小さな天守閣も入りましたし、また日本一高くて曲線が美しい石垣も見ていますので今回は外だけです。中に入る時間が実はなかったの言うのが真相です(/_;)。
で、ホームページから一部パクリますね・・・。
切り込みハギは、石垣の構築技術の一つです。石を削り精加工した石を用います。石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいます。整層積みしたものや乱積みとなるものもあります。
丸亀城では大手枡形や南山中の栃ノ木御門跡の櫓台石垣に見られます。
丸亀城三の丸は高石垣で築かれています。特に北側の瀬戸内海側の石垣は高さ20m以上の高石垣となっています。この石垣の隅角部(出隅)の石垣は算木積みと呼ばれる積み方です。角石は長方体の石を用い、長い面を大面、短い面を小面といい、大面と小面を交互に組み合わせ小面の角石の横には角脇石を配することで、より強固な積み方となり、美しい勾配の高石垣を築くことができるようになりました。
ハバキ石垣はサヤ石垣とも呼ばれます。石垣が膨らんだ箇所を崩れないように外側から押さえて保護する役割があります。
このハバキ石垣は山﨑氏時代に築かれたことが分かっています。上に建物が建っていることから石垣の解体修理をせず、ハバキ石垣を築き石垣を保護したのでしょう。
天守閣です・・。中はすぐに急な階段になっています。木造です。木造の城は結構あちこち入っていますよ・・。(^_^)/~
なかなか味のある天守閣です。城は何しろマニアですので・・・・。(^_^)/~
外から櫓の写真を撮り・・・
大手門を撮りに少し中に入り・・・・
ついでに狭間を撮って見ました・・。狭間には丸いのが鉄砲狭間、三角が槍狭間、四角いのが矢狭間だ!という人がいますが、防御するのに形は必要ないと思いますが ・・(/_;)。まあ、ファッション的な形にしたのでしょうねぇ・・。
仮に敵が来れば遠くだと鉄砲、至近だと槍・・と、その時に必要な道具が使われますから、狭間の使い方・・と分類するのはどうもナンセンスです・・(>_<)。狭間の形状で使い分けしたという記録もないですしねぇ・・。(/_;)
「お~い敵だ・・。鉄砲を持ってこい・・。」
「いやあ、これは四角いから矢で狙いましょう・・・。」
「何言うてんねん・・、そんなん届くかい。」
「四角いところは鉄砲ダメですよぅ・・。丸い穴から撃たないと・・。」
「オマエなあ、アスペかボケか~~(。。)。」
なんて会話が行われたことは無いと思いますよ・・(/_;)。 この城は室町時代前期に奈良元安が築いたとありますが、この時代の城は高山城(たかやましろ)というよりは国人館的なもので、本格的に城の形が作られたのは後期の戦国時代。丸亀城は生駒氏によって、江戸期に入る少し前ですから・・・、という事はほとんど狭間は利用されていない~~という事に繋がりますよね・・。
まあ、実戦に用いられた可能性は極めて低いと考えられますねぇ・・。
また社会科の先生みたいな事を言ってます・・(>_<)。
江戸時代には噴水はなかったのですよ・・・(^_^)/~。ワロタ・・・。
で、また11号に出て走れば目に付いたうどん店です。とりあえず入ってみました。トツピングは、げそ天を選びました(^_^)/~。
讃岐平野はこんな山とため池がやたら見られます。ため池は昔と比べれば香川用水が出来てから減ったのですよ・・。この山の向こうを確か行くときに通ったはずです・・。
段々市内が近づいてきて・・。
琴電の踏切を渡り・・・。
もう市内に入り込んでいます。これから、まだ時間があるので屋島に向かうことにしました。
琴電の踏切を撮ってみました・・・。(^_^)/~
あの山の下を右手に曲がれば屋島ドライブウェイです・・。だって、何度も来ていますからね・・。(^_^)/~
踏切で止まっていたら電車が来ました・・・。(^_^)/~
拍手~~~。(^_^)/~
電車の行きすぎるのを待ちます・・・。
源平合戦なんざ遥か昔。地形も大幅に変化している筈です・・。でも、古戦場です。この標識は平安時代からここにあるのですよ~~。(^_^)/~
嘘ですよ・・・。(/_;)
この道の最後まで行けば水族館があります。パーキング代が400円でしたか・・。ですからすぐに逆戻りです。水族館は余り興味も無く・・・。
ヘルメットでアタマがペタペタになっています・・・。(/_;)
宇宙エース・・・(/_;)。たって~誰も今は知らないよね・・・。(^_^)/~
『宇宙エース』(うちゅうエース)は、1965年5月8日から1966年4月28日までフジテレビ系列局で放送されていたテレビアニメである。竜の子プロダクション(現・タツノコプロ)と読売広告社の共同制作。全52回。
タツノコプロが初めて手掛けたテレビアニメである。当時はテレビのカラー放送があまり普及していなかったため、モノクロで制作された。放送時間は、第1話から第48話までは毎週土曜 18:15 - 18:45、第49話から第52話までは毎週木曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。
本作の放送と並行して、吉田竜夫による同名の漫画作品が『少年ブック』に連載されていた。
マンガはおいて・・・と、また屋島です(^_^)/~。
ドライブウェイのパーキングの端に、こんなタヌキが置かれていました。
もう秋の雲です・・。鰯雲ですねぇ・・。夏ももう終わりです。8月最後の日です。
下って来ると入り口の料金所です・・・。しかし・・、
今は無料なんですよ・・(^_^)/~。以前は支払ってましたからね・・。
このあと、国道に出てからうどん屋に入り、最後の讃岐うどんを食べてから港に急ぎました。それでも時間はゆとりがありました・・・。(^_^)/~
この、りつりん2神戸行きに乗船します。
向こうのブリッジはお客さん用の搭乗口です。
この日もメチャ暑くて、建物の中に入るとホッ!としました。四国ではほとんど半袖で走っていました。薄いジャンパーを着たのは日焼けがチリチリで痛かったからです(/_;)。
夏の終わりは人影もまばらです・・・。
まもなく出港です。屋島方面を見ながら、「楽しかったなあ・・。(^_^)/~」なんてしんみりしています・・。
船の中の様子です・・。ホント、人の姿が少ないのですよ・・。
これが、あずきじま(^_^)/~、いえいえ小豆島(しょうどしま)に着くと・・
すごい数のお客さんが乗り込んで来ました。
坂手港を出て・・・
ここから神戸までがやたら長いのですよ・・。日は西に傾きかけています。
見にくいですが、右が四国左が淡路島です。大鳴門橋がかかっているところです。
淡路島は大きいですよ・・・。(>_<)。アメリカと戦争しても勝てそうな大きい島です。独立させるかなぁ・・・。淡路島帝国なんて・・。(^_^)/~淡路玉葱様が天皇です・・。何処ぞの馬鹿独裁国にホントにミサイル作って打ち込まないといけないですねぇ・・。ガンバレー淡路島~~(^_^)/~。ワタシ玉葱天大好き~~(^_^)/~。
このお方が航海士サマです・・。(^_^)/~
デッキに出てのんびり外を見ていると、ふと足下に目が止まりました。この靴くん、南は宮古島から北は礼文までと随分ワタシと一緒にあちこち旅をしています・・。
頼もしい相棒です。(^_^)/~
明石海峡大橋をくぐります・・・、
以前はここをバイクで走り、余りの高さに高所恐怖症のワタシは震え上がりましたよ・・。
夕陽がいいですねぇ・・。
みなさん写真に収められていました・・。
船内です。
フロアーカーペットの室内です。
黒人さんがポツンとひとりで・・・。
新日本海フェリーと比べれば小さいですが、それでも結構快適なフェリーでした。
瀬戸内は揺れなくてとても安心しましたよ・・。
写真はここで終わりです。6時過ぎに神戸に到着して、大阪へと急ぎました。国道2号がかなり混んで帰ったのが午後8時ぐらいでした。
とても楽しい四国ツーリングでした。今度はもう1.2泊伸ばして、四万十と足摺に行きたいと思いました。
国道32号、33号、11号を完全制覇です。(^_^)/~
やっと四国編が完結してやれやれです・・・。(^_^)/~
2017.8.28.~8.31 四国ツーリング②
次の朝、高知を後にして国道33号線を松山に急ぎました。本来なら、四万十に行き足摺を東回りで回って、西回りから宿毛に抜けて宇和島・・松山のコースを取りたかったのですが、この行程だと楽に250キロはかかってしまいます。当然松山に着くのは遅い時間。仕方なく四万十~足摺は次回の宿題にしました。
このコースを取れば少なくとも4泊5日になってしまいます。滑床渓谷も行けるのですよね・・。だから、次は春か夏場に再度やってくることにしました・・。
国道33号に入る伊野の手前、鏡川の上でバイクのナンバープレートを拾ってしまいました・・。仕方なく届けることにしましたが、生憎駐在所が見当たらず・・、下道を走り伊野警察署に持って行きました・・。
伊野警察署で地図を見てください・・、と拡げて見せられたのですが、老眼鏡が見当たらなくて警察署の備え付けを借りました。手続きをして、それはワタシの手を離れて一件落着でしたが、帰りの船の中で伊野署で借りた老眼鏡がワタシのカバンに入っているのを発見・・・!。わぁ、警察で窃盗をしてしまった~~とびっくりしてしまいましたよ・・。(/_;) 老眼鏡送り返そうかと・・・。(^_^)/~
しかし、うっかりして、話し込んでいる時にカバンになおしてしまったとは、まさに傑作でしたねぇ・・・。(笑)
国道33号線は四国山地の、かなり深いところを通ります。でも、あちこち昔のままの所も多いけれど、以外と発展しているではないですか・・・。(^_^)/~
バイパスも出来ていたのには驚きでしたよ・・。
こんなダムがあったり,山間の集落があったりする田舎道です・・。
山深いところですよ・・。
途中で遍路をされている青年に出会いました。お名前を聞き忘れました(/_;)。お元気で旅を続けられますように・・。(^_^)/~
ブログをごらんになったらメールでも下さいね・・。
メールアドは最後につけておきます。
国道33号では、中土佐でライダーハウスを経営されている方とも知り合いました。お名前を忘れてしまいました。(/_;)
大阪から中土佐にやってこられて頑張っていると言っておられました。
この方はカワサキの 「Z1 900 Super Four」に乗っておられました。これ・・、往年の名車ですよ・・(^_^)/~。40年も以前のバイクですが、現在は300~350万で取引されています・・。すげぇ・・・。(。。)また速いバイクでしたよ・・(^_^)/~。言葉を交わしてお別れしてから、あっ・・という間に見えなくなりました。
ライダーズイン中土佐
0889-40-2233
今度、四万十への旅では泊めていただきます(^_^)/~。
宜しくお願いします・・・。
松山にやってきました・・・。
道後温泉です。この建物の周りを道が出来て、右側の古びた昔の遊郭・・、つい10年前ほどには廃墟のようになって残っていた赤線が取り除かれてきれいになりました。
風呂前の道も車が通れなくなり、すっかり観光地です・・。
横に回ってみました・・。
これは裏です・・。皇族の連中専用の出入り口です。
こうして見れば、古い建物なんですねぇ・・。
太鼓櫓もそのままに・・・。でもきれいに塗り直されていますねぇ・・。
やはり・・、街の中は市電・・。市電が中心ですよ(^_^)/~。
いろんな市電が走っていました・・。(^_^)/~それがまた街に映えるのですよ・・。
秋山兄弟の生家ということです・・。外から見ただけで入っていません・・。どうも300円は高杉さんです・・。だから、パス・・・。これだけで300円は高いような・・。
隣は寺になっています。
ここが門ですねぇ・・。
街の中を歩けば、このようないかめしい私学があったり・・・、
道がカラー舗装されて、すっかり観光化していました。
昔のいでたちが味があってよかったのに・・・。
坂の上の雲ミュージアムです・・。入っていません・・。(/_;)
この門をくぐり、左手の萬翠荘に行きました。
大正浪漫を今に伝える、日本が誇るフランス風洋館
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。
その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。
建築その物も美術品ですが現在は、絵画、掛け軸、伝統芸術品、各種イベント、個展を随時行っています。 同敷地内には愚陀佛庵があり句会が行われておりましたが、平成22年7月の土砂崩れにより全壊し、現在は跡地のみとなっております。
久松 定謨(ひさまつ さだこと)
この窓のガラスは大正ガラスですねぇ・・。ワタシにこんな雑学を話させたらもう右に出る人はいませんよ・・。(^_^)/~ 一枚づつの流し込み製法ですのでとても高価なんです。
四角を見てください。この斜めカットが独特な風合いをもたらせるのですよ・・。
この手のガラスは熱海の起雲閣など、残存しているところが極めて少ないです(^_^)/~。
上品な方ですねぇ・・。ここの職員さんは皆さんお綺麗な、しかも上品で笑顔の素敵な方ばかりでした。(^_^)/~
そりゃ、入館料払ってでも入りたいですよねぇ・・、ねっ!。(^_^)/~
萬翠 荘を後にしてから、松山城に行こうと思いましたがバイク専用パーキングは無い・・と断られました。仕方なく城には上がれずです。高知城も上がってませんしねぇ・・。でも松山城も何度も登城していますから、今回はパスです。
街から写真だけを撮ってみました・・。
今のロープウェイ・・、これは昔のワタシが学生時代にもありましたからねぇ・・。楽に城には上がれるのですよ。歩いて上がればかなりしんどかったです・・。(>_<)
正岡子規記念館です。ここは来たことがなかったです・・。出来たのが新しいのかなあ?。
正岡子規について
正岡子規は、慶応3年(1867年)9月17日(新暦:10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現松山市花園町)で生まれました。翌年が明治元年ですから、子規の年齢は明治の年号と同じになります。本名を
自由民権運動に触発され、政治家をめざして明治16年に上京、第一高等中学校、帝国大学文科大学に進学します。しかし、22歳のときに喀血して「子規」と号したころから真剣に文学を志し、大学を中退して入社した日本新聞社で、俳句や短歌の革新を叫び、新体詩を試み、写生文をとなえました。明治28年からは脊椎カリエスの病苦にあえぎながらも、死の2日前まで随筆「病牀六尺」を発表しつづけて、明治35年(1902年)9月19日に亡くなりました。
「写生」に根ざした子規の文学は、多くの仲間とともに子規山脈を形成し、近代文学史上に輝いています。
子規の暮らした家が再現されています。
漱石と子規です。
何処かのオッサンが子規の家に上がり込んで・・・(>_<)。
これらは子規の自筆ですよ・・・。いい物を見せてもらいました。(^_^)/~
子規の死期の様子です・・。
明治の文豪の実物大とワタシ・・。
子規の実物大とワタシ・・。
記念館をあとにして、あてもないままぶらりと街を走り周り、夕飯を取ってからこの日の宿泊ユース・・、松山ユースにむかいました。昔の神泉苑とは違う場所に建てられたユースでした。
びっくりするのは湯快ガーデンの隣でしたよ・・。(^_^)/~
歩いて上がるのは少ししんどいかも知れません・・。
登りは曲がりながらの登り坂です。この日も一般のホステラーはワタシだけで、あとはマレーシアの学生さん達でした。愛媛大学との交流をされていたようです。
オンナの子と二言三言挨拶を交わしただけで、話すことも全くなかったですよ・・。
次の日、洗面所で財布の忘れ物を見つけ、ペアレントさんの代理に届けました。(^_-)
外国でオアシをなくせば学生さんお困りでしょうからね・・・。
しかし、夏とは言え旅の若者がいないのにはびつくりでしたよねぇ・・。松山はとても人気ユースでしたのにねぇ・・。
そう言えば、街の中にあったダウンタウンユースも現在は閉鎖されていますねぇ・・。ここのペアレントの経営でした。現在はゲストハウスとして経営しているとか・・。
北海道でもそうでしたが、夏のさなかで部屋にひとり・・なんて、全く考えられないことでしたね。
四国ツーリング③は10月になってしまいます。また間が開くのが残念です。
ご意見等はmahomimi@hotmail.co.jp までお願い致します。
2017.8.28.~8.31 四国ツーリング①
神戸にやって来ました。昼の便ですから気持ちはゆとりがあるのですが、大阪~神戸は下道国道2号を走れば1時間半はかかってしまいます。何しろ混むのですよ。信号がやたら多いです。ですから早く出ました。それでも時間は、まだまだ有り余るほどありました。元町に出てから昼を食べて、スタバでお茶をシバイてから港に来ました。
この船です・・。新日本海と比べれば小さいですが、やはりフェリーです。貫禄はあります。
神戸の街。神戸は大阪と比べれば垢抜けしていますね・・。
三宮界隈の案内図です。
もうフェリーの中はガラガラ・・。夏の終わりですから、客足もまばらです。一部の人が小豆島で降りれば、さらに人気が少なくなりましたよ・・。
岸壁を離れて・・・、
少しすれば明石海峡大橋が見えて来ます。以前、バイクでこの橋を走りました。ひやあ~、恐ろしいなんてもんじゃあなかったです・・・。(>_<)ワタシは高いところが怖いのです。
橋の下を貨物船が通ります。
かなり時間が経過していますが、小豆島の坂手港に入港です。
小豆島も好きなんですよねぇ~~(^_^)/~。
船が横付けになって、後から車を下ろして・・・
人も降りればさらに座席がこんな様子に・・・。
もうまもなく高松着岸です。トラックの横を通り、左向こう側の入り口から下に降ります。
まだこんなに余裕があったのですねぇ・・・。(^_^)/~
車もトラックもとても少ない数でした・・。
高松にあとわずかで着岸します・・。船は少しずつ横に寄っていってます。
高松に着いて、高松駅を裏から見て見ました。表側は高い建物がある方です。元々は港まで駅が続いていたのですが、宇高連絡線が廃止になってから駅が内陸に入り込むようになりました。
この後、高松シティホテルに向かいました。ビジネスホテル泊です。夜はうどんを食べに出て、月並みな「はなまるうどん」に・・。商店街をぶらついて、買い物をして帰ってきました・・。
讃岐平野はこのような山とため池がやたら多いです。この3つの山は、帰りは違う角度で見ることになりました・・。朝から国道32号沿いの、開いていたうどん屋で「モーニングうどん」です(^_^)/~。うどんは1玉のかけが110円から200円の範囲でしたね・・。トッピングもせいぜい120円から160円です。メチャ安いのですよ・・。(^_^)/~
この道の駅は以前も立ち寄ったところです。全く変わらずでした・・。
32号を走ればどんどん山の中に入っていきます。吉野川の清流です。
右に土讃線・・。左側を走っていた土讃線は、ホント山裾にへばりつくような形でびていました。まさにびっくりです・・。土讃線は長い間乗ってないですよ・・。
古びた鉄橋ですねぇ・・。
こうして走っていると、旧道の廃トンネルの手前で塔婆を焼いていたり・・というような光景も見ましたよ。廃トンネルをくぐり抜ければ、小さな集落の中に入っていきました。地元の方はみなさん「こんにちは」と挨拶して下さって、ホント心和むばかりでしたね。(^_^)/~
祖谷のドライブインで、古賀からこられた方と、加西からこられた方・・仲良しさんです。お2人で、2台のカブでツーリングされていました。しまなみ海道を通られて広島の方に行かれたのですかねぇ・・。お名前を聞くのを忘れました(/_;)。
お元気でお過ごしください。
昼を少し過ぎて高知県に張り、大豊市役所の前にあるひばり食堂にやって来ました。
ワタシが並んだ時はすごい人でしたよ・・。かれこれ40分待ちました。日差しが強くて、暑いうだるような中で立って並んでいました。
守屋元気君も行った、結構有名な店です。美空ひばりが名付け親だとか・・。ひばりさんは大豊の出身だったのですかねぇ・・。
カツ丼がうまい・・・と聞いていましたが、ワタシ的には★2.5/5かな・・(/_;)。この程度の味ならうちの周りにもたくさんあります・・(/_;)。これはカツ丼小500円です。普通盛りはカツが2枚乗るそうです・・。小でよかったです・・。
衣がもう少しカリっと・・、さらには卵が洟垂れ卵で無く、もう少し火を入れて、味はもう少し甘辛く・・と思いましたね。
カツを揚げさせればワタシ絶品だと言われます(^_^)/~。当然、カツ丼にはうるさいです・・・。
さあ、気合いを入れてまだまだ走ります。こんな道がまだまだ続きます・・・。
道ばたに咲いている野生のゆりの清楚な美しさなんですが、ちょっと萎れ気味ですねぇ・・。
やっと南国市に入りました。高知まではあと10キロです・・。
大手の旭食品の工場を右に見て・・・(^_^)/~。
で、やって来たのが五台山の牧野植物園です。ここは無料です。
こちらは有料です。以前は植物園に入り、大温室も見て資料館も見学しました。今回はパスしました・・。
五台山から、ちょっと市街地を離れた所にあるレアな所にやって来ました・・。
あの、土佐勤王党のオヤビン、ハンペイタセンセイの墓所です。やはり重みを持って瑞山先生とお呼びしないといけないです・・。
瑞山先生の家と言われてはいますが、昔の面影はないかも知れないですねぇ・・。
資料館です。無料ですが、何か足りない・・・・。資料が少なすぎるのかも知れないです。
瑞山先生の妻は富子だし・・、瑞山先生は子どもがいなくて家系は断絶している筈。ただ、親戚一同はご健在・・。右は半太と書いてあるでしょ・・、現代の血縁の子孫の人だと思いますねぇ・・。(^_^)/~
瑞山先生、先祖の墓所。
これが半平太と富の墓です・・。(^_^)/~
堂々たる神州、戎狄の辱しめを受け、古より伝はれる大和魂も今は既に絶えなんと、帝は深く歎き玉ふ。しかれども久しく治まれる御代の因循委惰といふ俗に習ひて、独りもこの心を振ひ挙げて皇国の禍を攘ふひとなし。かしこくもわが老公つとに此事を憂ひ玉ひて、有司の人々に言ひ争ひ玉へども、かえってその為めに罪を得玉ひぬ。かくありがたき御心におはしますを、などこの罪には落入り玉ひぬる。君辱めを受くる時は臣死すと。いわんや皇国の今にも衽を左にせんとするを他にや見るべき。彼の大和魂を奮ひ起し、異姓兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて国家興復の萬一に裨補せんとす。錦旗若し一たび揚らば、団結して水火をも踏むと、爰に神明に誓ひ、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は萬民の患をも払はんとす。されば此中に私もて何にかくに争ふものあらば、神の怒り罪玉ふをも待たで、人々寄つどひて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書き記し、おさめ置きぬ。 瑞山
瑞山先生の墓所から、次にやってきたのは桂浜。もう何度も何度も、しつこく来てはいますが、また来ました(^_^)/~。この浦戸大橋を走りました・・。ビビリました・・。
高いところは怖いやないですかぁ・・・・。(>_<)
桂浜も手入れがされて・・・。昔と変わらず・・。
余りに暑くて人がおらず・・・。
大町桂月の祈念碑が・・・。
国粋主義者の桂月はワタシも引かれるところがあり・・・(^_^)/~。
龍馬像です・・。逆行で載せていますが、これを落としてから明度を上げて見てください。きちんとした絵になりますよ・・。
桂浜の、祠があったところからずっと向こう側の景色がこれです。このように砂浜が長く続いています。
高知市立自由民権記念館にやってきました。しかしレア過ぎるところばかり足を運びますねぇ・・、いえいえこれも旅の面白さです。
こんな話ばかりさせたら、きっとワタシは中学・高校の社会科の先生方よりも深い話が出来ると思いますよ(^_^)/~。
植木枝盛さんです・・。「東洋大日本国国憲按」、簡単に言えば憲法私案で知られた知性派です。意外に教科書にも乗らない事ですが、第一回帝国議会総選挙で当選し衆議院議員になっていますよねぇ・・板垣退助の書生をしていた事も世間では知られていませんねぇ・・。
こんな劇場が・・・約1名の観客に埋め尽くされて・・・てか、誰もいなかったですよぅ・・。(/_;)
もう夕方近くに高知城にもやって来ました・・。でも、パーキングが無くて入れなかったのです。仕方なく写真だけ遠目に撮って・・・とつまらない事になってしまいました。高知城は何度も入っていますけどね・・。でも、天守を写真で紹介したかったです。
野中 兼山(のなか けんざん、元和元年(1615年) - 寛文3年12月20日(1664年1月18日))は、江戸時代初期の土佐藩家老。多くの改革で藩を助けたが、過酷な労働を強いたことから領民の不興を買い失脚、一族が絶えるまで家族全員幽閉された。とコピペしました・・。(^_^)/~
この後、高知駅近所のプチホテルに入りました。すごくいいホテルでした。綺麗し安いしサービスもよかったです・・。で、風呂に入り着替えてから友人に会うために出かけました。
歩いてはりまや橋まで行く途中でパシャ・・。
ギャハハ~~、はりまや橋です。てか、昔はこんなものはなかったですよ・・。
これは観光用の目玉に作られました。
この時計が高知・はりまや名物「からくり時計」です。城が出て、橋が出てきて下から仏さんが出て、メロディ鳴らして踊ります。もう笑いますねぇ・・。(^_^)/~
飲んだ後で近くに喫茶も無く、ミスドにやって来ました・・。いやあ、撮り方が悪いと怒られましたよ・・。(/_;)
高知、「グリーン不動産」代表取締役のN氏です。さすがシャチョー・・、知性と気品にあふれています。学生時代にワタシと馬鹿ばかりやっていたとは思えないです・・。(^_^)/~
若い時はホント、二人とも勉強もしないで結構遊びまわっていましたねぇ・・。それが今では片やビルのオーナーですからねぇ・・片やニート(/_;)。←ワタシ
友人の出世は嬉しいですよ・・。(^_^)/~
高松から高知までの、余り写真も撮っていない中で掲載して見ました。まだ続きもありますのでご期待ください。(^_^)/~
2017.7.26~8.5北海道ツーリング⑩
北海道最後の宿は室蘭ユースホステル。昔は若者で賑わった所も、現在はオジサン3人の宿泊者でした。これはこれで楽しかったですよ(^_^)/~。
もう静かなユースで、窓の外はイタンキ浜。夏とは言え、夜はかなり冷えましたね・・。
右手の岬がホンチキウ岬、左の奥がトッカリショ岬です。間違えていたらごめんなさい(/_;)。
草花が揺れて・・・
8人部屋を4人部屋にして、和室に改造されていました。
ここでオジサン3人で、軽く飲みながら語らった事もいい思い出です(^_^)/~。それぞれが一部屋ずつ与えられました。ここで集まったのです(^_-)。3人ともバイク旅でした。
イタンキ浜で泳いでいる人もいませんでしたね・・。
ワタシのバイクです・・・。今は静かに「買い物用」バイクに戻っています。
遊びよりも買い物、市内のお出かけ用に買い換えたのです。それでも平気で110キロで走れます(^_^)/~。
室蘭市内の夕暮れです・・。
明かりがポツポツ付き出してきました。
風が強くて波も出てきました・・。とても夏とは思えない光景です。
朝、潮見公園に上りユースの付近を撮って見ました。白い建物が室蘭ユースです。建物の右手の低い細長い所は食堂です。今はここが賑わう事も無く・・・・。
工場群の方を望んで見ました。白鳥大橋が靄にかすんでいます・・。白と赤の煙突の隣にかすかに見て取れますかねぇ・・・。
少し輪郭だけでもわかりますか?。橋らしいなあ・・ぐらいはわかってもらえましたか?。(^_^)/~
街を見るワタシの後ろ姿です・・・。
街を走り、室蘭駅に行って見ました・・。昨日はバイパスを通りましたが、今日は下道から行きました。
現在は観光案内所ですが、昔の室蘭駅です・・。懐かしいなあ・・。でも、もう線路も取り払われて・・・・。
現在はパーキングと一部公園になっていました。
これが今の室蘭駅です。すっかり建物が斬新になり・・・。
列車はここで止まり、線路も真っ直ぐに付け替えられて昔の面影はありません。
何か寂しいですよね・・。
駅前の案内図。室蘭はこのように海に突き出た街なんです。室蘭港をまたぐ大橋が白鳥大橋です。
このあと 室蘭のメインストリート、中央町こと室蘭中央通りに行って見ました。やはり昔と比べて大きく寂れていました。
この建物は何屋さんだったのか・・思い出せないです。ツタは昔のままですが、手入れがされていませんねぇ・・。
後ろを振り向けばバス停。
家具屋さんも店を閉じたのかなあ・・・。
そしてやって来たのが英国館。この喫茶はジェットスターの機内誌にも紹介されていますよ(^_-)。それに小説「旅の軌跡」にも出てくる店なんです。ワタシが訪れた10年ほど前は、店が出来た時だったのかなあ・・・。
この奥の席で主人公は旅の思いでを心に書き留めているのですよね・・。(^_-)
どうです・・・、言葉がいらないでしょ~。(^_^)/~
ワタシはカウンターでママと雑談しながら・・・。ママも幾分お歳を召したような・・。ギャハハ、ワタシもなんですが・・・。(^_^)/~
20分ほど英国館にいて、ママにさようならを告げて外に出ました。
また来ますからね・・・。
それにしても、シャッター通りになってしまっています・・・。A氏からお聞きしていましたが、まさに寂れてしまっています・・・(/_;)。
交差点も人の影が無く・・・。
静まり返った街になっています。
今日は帰る日、とりあえず苫小牧まで急ぐことにしました・・。
しかし、寄り道の癖は抜けないです。(/_;) 高浜虚子の碑と聞いて、あちこち迷いながら行けば・・、
確かにありましたが、期待を大きく裏切ってくれました・・。真證寺という寺の敷地の中にありました。
そのあとも白老を通った時に「仙台藩陣屋跡」に引かれて寄ってみれば、これなんかもうガッカリの一言でした・・・。
資料館には入らなかったです。かなりの資料館や博物館には足を運んでいますから、外から見ただけでその展示が手に取るように想像できます・・。(>_<)
これが陣屋の名残らしいですが、ただの広場やないですかぁ・・(/_;)。せめて、もっと具体的なモノがあればよかったのですが・・・。
苫小牧を目指して走ります・・。登別では知里幸恵・銀のしずく記念館にも行きましたよ・・・。でも午前休館で見れませんでした・・。
アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵。はじめてアイヌの物語をローマ字表記で表し、わかりやすい和訳で本にした人物だ。執筆の動機は、アイヌ語研究で有名な言語学者の金田一京助に、アイヌ口承文芸の価値を説かれ勧められたからであるが、これは外面的なこと。知里幸恵の内面的な動機は、本書の「序」にかかれている。
アイヌの自由な天地が、明治以降、急速に開発され近代化したことが大正11年(1922)3月1日の「序」からわかる。狩猟・採集生活をしていたアイヌの人々にとっては、自然の破壊だけではなく、生活を追われることでもあった。社会からは滅びゆく民族と言われ、アイヌ語も文化も尊重されず排除されそうになっていることを自覚。文字にしてアイヌの物語などを残そうと、アイヌの文化を守りたいという切々とした思いをこの序で伝えている。その後、金田一京助に勧められ、知里幸恵は17歳の時に幼い頃から祖母と伯母から聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記した。上京し、金田一家でアイヌ神謡集の原稿を書き終え、校正も済ませ発行するだけの状態にまで仕上げたが、心臓麻痺により急逝した。
記念館には、知里幸恵の遺品、実際に書いた手紙、日記帳、アイヌ語のノート、そしてアイヌ神謡集が展示されている。今現在で直筆のものが140点程あり、小さいスペースをひとまわりすると登別生まれの知里幸恵の生涯と業績が分かるように展示されている。国内外から多くの人が訪れ、地元市民も愛する場所だ。
【住所】北海道登別市登別本町2丁目34-7
【交通】JR:室蘭本線登別駅から徒歩約15分
車:札幌中心部から約1時間20分(道央自動車道 登別東IC経由)
【電話】0143-83-5666
【開館時間】9時30分~16時30分(入館は16時まで)
【休館日】火曜日(祝・祭日除く)、年末年始(12月28日~1月5日)
【入館料】大人500円、団体(10名以上)450円、登別市在住者250円、高校生200円、小中学生100円
【備考】URL http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/index.html
知里幸恵さんは現在中学生の教科書にも載せられていますよ・・。
この奥です・・。
室蘭本線が真っ直ぐに延びています。国道と併走しているのですよね・・。
国道もこんな感じです・・・。
後を振り向けば・・・・。
苫小牧の街を通り越して、先にやって来たのが新日本海フェリーの乗り場、苫小牧東港です。ここは夜になれば真っ暗で、先に下調べをしておかないと間違えそうで不安なためにやって来ました・・・。なかなか市街から遠いですよ。約20キロ少しです。
国道から看板を右折するとこんな道が続いています。まあ、これで間違えることも無いと安心して苫小牧市街に戻ります。(^_^)/~
苫小牧に戻ってきました・・。
苫小牧駅も大きく変わりましたねぇ・・。
駅を見て街に出て見ました。バイクは駅前のホテルに(黙って)置かせてもらっています。(^_^)/~
苫小牧は王子製紙の街、社宅に社宅の廃墟、昔使われていた軽便鉄道の静態保存といろいろなものがありました・・。
こんな機関車好きですねぇ(^_^)/~。
これは何の店なんですかねぇ・?
ずっと奥が王子製紙です・・。
街の中で・・・。
ここで街の写真は終わりました・・・。
この旅でお世話になった岩松様に苫小牧トラツクステーションでお会いしました。とても素敵な爽やかな方でした(^_^)/~。せめてお会いして、一言でもお礼を申し上げられて感激でした。重ねて厚くお礼申し上げますm(_ _)m。
苫小牧東ターミナルです。まだ船への案内がありません・・。
帰りのバイクはかなりの数でしたね・・。行きは9台、帰りは30台ではきかない数でしたね・・。
ZAO(蔵王)のシールがワタシです・・。(^_^)/~
先にトラックとコンテナが積み込まれ、車が終わってからバイクでした・・。12時を遙かにまわりましたよ・・。遅れて出向です。
行きと違って帰りはお向かいにお仲間でツーリングされているらしいライダーが・・・。でも、顔を合わしたのは2回ほどでした・・・。ずっと寝ておられたようです・・・。
カメラのバッテリーを充電してから寝ようっと・・・・(^_^)/~。
次の朝、後のデッキに出て見ました。
苫小牧へ向かう新日本海フェリーとすれ違いです。
みなさん眺めていますねぇ・・(^_^)/~。
展望室です。デッキへの廊下になっています。
ビンゴ大会です・・。ワタシは何も当たりませんでした・・。(>_<)
かなり時間が過ぎ、夕方ともなれば日本海に沈む大きな夕陽が望めます。
北陸本線で、日本海に沈む夕陽を何度か見ましたが、海の上の方が大感激でした・・。
月も出て・・・・。
窓越しの夕陽も・・・。
フェリーは一路敦賀に、真っ直ぐに走っているのですねぇ・・。かなりの高速船です。だから横のデッキには出られません・・・。
このボケ具合が・・・・何ともいい・・・夕陽が主役ですから・・・。(^_^)/~
何処かの坊主がタブレットで・・・。それをまた後から坊主を写そうと・・・。
坊主「あっ、写真のじゃましてすみません・・。」
ワタシ「いいんですよ、君のタブレットを撮らせてもらいました・・。(^_^)/~」
坊主「ありがとうございます‥。(^_^)/~」
礼を言われることではないのですが・・・。(^_^)/~。ワタシはズームをつけていますから、決して人様がじゃまになることはないのですよ・・・。
窓越しも波がガラスを濡らしてしまうと・・・。
で、すっかり暗くなる前に室内に戻りました。
喫煙室のオッサンをパシャ・・・・。ケケケ・・・。(^_^)/~
こんな喫煙室です・・。もうあと一時間半もすれば敦賀入港です・・。
ここで北海道ツーリングの写真は終わりです。
楽しい11日間でした・・・。予約をずらして、もっと北海道を満喫したかったですよ・・・。22回目の北海道でした。
日にちをずらせば、お盆のお出かけに支障をきたしますので、予定通りに帰ってきました。
ただ、敦賀から京都までがやたら遠いのですよね。また京都から大阪までも決して近くはないのです。だから帰宅したのが深夜12時を少し回っていました・・。
あ~~でも、無事故で楽しく行けたことが何よりでした。
やはり人生は冒険心と感動を持たなければ決して楽しくないですよね・・・。(^_^)/~
出発時走行メーターは9692キロ。帰宅時は12023キロ。走破キロは2331キロでした。一日平均にして、自宅~敦賀を引いても有に200キロは走っていたのですよね・・(^_-)。
行く前にエンジンオイルとオイルフィルターを交換して、帰るなりオイル交換の指示が出ていました・・。次回の交換まで2000キロに設定していたのです(^_^)/~。
それをわずか10日で走ってしまったのですからねぇ・・・。
でも、まだ四国ツーリングが残っているのでオイル交換は四国から帰ってからにしようと思いましたよ・・・。
来年も北海道に行くかな・・・と考えています。みなさん、「北海道に22回も行けば、もう行くところが無いでしょう・・・。」と言われますが、どうしてどうして・・・・北海道は限りない数行っても新たな感動がありますからね・・・。
季節により表情も異なり、そして優しさも厳しさも見せてくれますからね・・・。まだまだ行ったことが無いところも多いですから・・・。
旅の途中でお世話になった方々、さらにはお友達になって、旅をより楽しくして下さった方々に改めてお礼を申し上げます・・・m(_ _)m。
2017.7.26~8.5北海道ツーリング⑨
富良野から札幌は約160キロ、山の中の道から幹線道路に出れば気分的にもホッとします。やはり山道で通行量の少ないところは不安です。岩見沢市に入れば一気に都会・・という雰囲気へと変わっていきます。
やっとやれやれで着いたのが北海道青年会館・・・、元札幌ハウスユースです。
誰が置いたか飲み物が1本。次の朝になってもそのままでしたねぇ・・。(^_^)/~
まさかぁ、ワタシは貰おうとも思わないですよ・・・。怖!
窓の下には月見軒・・。でも、ここでは食べようとは思わないです。
向かいのビルには自治労が入居。「安倍政治を許さない」なんて非国民のスローガンがこれ見よがしに貼ってありました。公益団体がそんなものを貼る事がおかしいと思うのですが・・・。
この高架下のファミマの前で、行きにライターを買ったのですよ。その時に前の青年会館を見ていました・・・。(^_-)
電車音はすれどパンタグラフしか見えませんでした・・・。(>_<)
8人部屋にたった一人でした・・・(/_;)。夏とは思えないこの旅人の少なさ。
昔は、学生時代には、冬でも夏でも学生であふれ返っていたのですよ・・。
大通り公園の賑わいです・・。会社帰りの人たちがグループでテーブルを囲んでいました。こちら側は失礼なので撮っていません・・。
夜になって外に食事に出かけたのです。ススキノ市場の五坪に行きました。ここでは昨年来たことを覚えられていましたよ・・。(^_^)/~。
で、五坪の後は本願寺横の「ラーメン五丈原」へ直行です。ここの店も覚えられていて、いつも愛想良く迎えていただけます。
今月9月20日からご主人は近鉄橿原店(八木)のイベント「全国うまいもの市」に出店されます。
皆様も一度食べに行ってみて下さい。(^_^)/~
ご主人です・・。穏やかな優しい方です。
次の日は中山峠を越えて室蘭に出発です。国道230号線を支笏湖に向けて走りました。中山峠、広島峠と峠越えの道です。こりゃ夜は怖い道ですよ・・。(>_<)
ここにも以前来ました。その時はあげいもを食べましたが、今回は食べなかったです。朝を札幌市内の松屋で、焼き魚+牛皿定食で済ましていたので欲しいとは思わなかったのですよ・・。それに350円は高いですねぇ・・。
中山峠・・。留寿都方面を望んでいます。
さあ、気合いを入れて走るかと・・・・・。
何処も似たような道が淡々と続いています。
支笏湖に着きました。
さぁて・・・と、気合いを入れて走ると・・・やっと噴火湾が見えて来ました。
室蘭まで46キロ・・。もうビビルような距離では無いですよ・・。すぐそこ・・という感じです。(^_^)/~
少しずつ景色が街に変わって来ると・・・
白鳥大橋が見えてきました。この橋を渡って、高台からは街が一望出来る写真のスポットがあります。室蘭は工場夜景がとても綺麗なんですよ・・。
でも、ワタシは高いところが怖いです・・・・。おまけに白鳥大橋は風の強さは半端ではないです。車だと渡れますが、バイクだと引いてしまいます・・・。(/_;)
東室蘭駅です。
やってきたのは地球岬・・。太平洋が一望出来ます。地球が丸く見えるというところから地球岬と呼ばれるようになったのですねぇ・・。
ピントが合わなかっただけです・・・。(>_<)
ほら~~、地球が丸く見えるでしょう・・・、(^_^)/~って、実はこれは目の錯覚ですからね・・。地球の丸さは人工衛星からでないと見えないです。これはあくまで目の錯覚なんです・・。と「旅の軌跡」の主人公は話していました。
幸福の鐘です。優しい音がします。誰もが幸福になってほしいですねぇ・・。
ど、ドローンだ・・・・。土産物店のオヤジが観光協会に電話をかけていました。
「支那人がドローン飛ばしてますからKサツに連絡してください・・。」
自分でKサツにすればいいだけの話ですが?????。
ドローンで撮りました・・、 てなワケは無いですよ。せめて気持ちだけでも、雰囲気だけでも味わって貰いたくて・・・。(^_^)/~ギャハハ~~。
灯台への入り口です。門外漢は入れません。立ち入り禁止です。座って入るのはどうなのでしょう?。(笑)
室蘭と言えば母恋駅です。ボコイと読みます。ハハコイはマザコンです(>_<)。
瀟洒な駅ですが、一躍有名になりましたね。この日は観光客が大挙して・・・・約1名訪れていました。(^_^)/~
観光客のバイクですねぇ・・・。
風雪に耐えた、この錆が何ともすばらしいです・・・。サッポロビールも似合っていますね・・。これがオリオンビールならひっくり返りますが・・。(^_^)/~
列車は1時間に3本が最大。それも室蘭方面の8時台だけです。
この日は室蘭ユース泊にしています。まだ13時半・・。街を走り回り、結構いろいろ見てまわりました。
室蘭もご多分に漏れず、寂れた街に変わっていました。昔はもっと活気があったのですがねぇ・・。かつてのあの賑わいはどうなったのだろう~~と気にかかるばかりでした。
旅の終わりが近づいてきています。
2017.7.26~8.5北海道ツーリング⑧
富良野から452号線を走り岩見沢へ急ぎます。途中の芦別に入ったところで、幌子芦別川の側にある三段滝パーキングで休憩しました。ここは以前にもレンタを借りて麓郷に往復した事がある勝手知った道です。
以前はバケツをひっくり返したような雨が降り、気温も低くてワタシはレンタカーに暖房を入れていたのですよ・・。バイクで来られていたライダーは寒い寒い・・と言われていましたね。この日は晴天で走りやすい日でした。
ここを過ぎてからワタシは道道116号、より山の中に入り三笠に抜けましたので鉄道記念館をとおらないままにまってしまったのですよ・・。
この看板も変わってはいません・・・。(^_-)
それにこのトイレ・・。全く昔のままでしたよ。もう10年も前の事なのですが・・。
後ろを振り返ればこんな様子です。でも、山の中の道で、途中には何も無いのですよ・・。
道道116号を通って、セコマの三笠店で昼にした時に、鉄道記念館を通っていないことに気がつき、慌てて1129号線を引き返しました。
これが鉄道記念館です・・。以前はこの前を通ったのに、なぜ今回は出てこれなかったのか不思議です・・・。(/_;)
でも、来れたのだからまあいいです・・・・。(^_^)/~
懐かしいなあ・・。列車の端にあるドアの横についていた表示です。今はもう無い急行ですよ・・。
「はまとんべつ」なんて懐かしいですよ。ユースに連泊して雨だったために一日寝ていたことがありました。雨が上がって駅前のパチンコ屋にタバコを取りに行き、100円玉ひとつで5箱ぐらい稼いで帰ってきました。(^_^)/~若き日の想い出です、もうその駅もないのですよね・・。(/_;)
2階に上がればプラレールが・・・。(^_^)/~
書庫に古い時刻表が・・・。懐かしくて見てみました・・。
昔はこんなに鉄道が走っていたのですよね・・・。
窓の外を見れば汽笛・・・血が・・(^_^)/~、血が騒いだので(^_-)、すぐに下に降りました。
売店では何も買わずです。古い切符にプレミアがつい売られていました。
こんな客車って懐かしいです・・。
これも懐かしいですよ・・・。
これ・・結構うまく撮れていますよねぇ・・(^_^)/~。
後ろがスボケ(尻切れ)なんですけど・・・。
それでも絵になりました。
記念館は山の中です。もと幌内炭鉱の中心にあたります。今は炭鉱も無くなり、きれいに整備されています。
ここから石炭をスコップですくい、後ろの釜に放り込みます。
外に出ました・・・。
この道を、また元に戻ります。
岩見沢に至る山道で、ワタシは452号か116号か・・・という分岐点で一服しました・・。その時に、ダッシュボードに飼っていた?、いや勝手に入り込んだアリを全部ぞうきんで掃き出しました・・。
帯広で泊まったときが雨、ここでアリがダッシュボードに入り込んだようです。トイピルカユース・・、下は土の駐車場でしたから・・。
そのアリがダッシュを開ければさっと中に隠れてしまうので、もうそのままにしてたのですよ・・。美瑛も富良野もこのアリ達を引き連れてです・・・。
それを全部とてつもなく離れた山道で掻き出してやりましたよ・・(^_^)/~。
きっとアリ達はびつくりしているでしようねぇ・・・。「アリ~~~。」なんて(^_^)/~。で、どうしたのかな・・と気になります。まさかぁ別の群れに入り込んでなんては出来ないでしようしねぇ・・。(^_^)/~
アリに取ってはアリがたくない話ですね・・。大阪まで連れて帰ってやればよかったかな・・?。(^_^)/~
三笠のセコマのすぐ前に、トロッコの受付があったのですよね・・。これは日記でも書きました。こんなトロッコに乗りたかったです・・。今度の宿題ですよ・・。
それと「唐松駅」の見学も・・・。
こんな鉄道って、ホント好きですよ・・。もうワクワク・ドキドキします。
別に鉄マニアでは無いですよ・・。でも、好きなんです。(^_^)/~
乗りたかったですねぇ・・。
三笠鉄道記念館はそれなりに楽しいひとときでした・・・。