2003.3.2 倉敷景観地区に行ってみて・・①
瀬戸大橋線「児島駅」です。どんよりと曇った日でした。アドビーで補正しようと思いましたが、このまま載せてみました。倉敷景観地区に行こうと思ったついでに遠回りして、野崎浜灯台と鷲羽山を見て・・との思いで此処に来てみました。
ネットで調べたら、灯台はかなりの年代物に思えたのですよ・・。(-_-;)
まあとりあえず、ジョイフルで腹ごしらえをしてです・・。西松屋には用はありません(^-^)。
児島駅前です。市街地はこちら側ではなく反対側に広がっています。こちらは海側です。
ここから歩いて灯台まではすぐなんです。(^-^)
鞆の浦の常夜灯のようなものかと思っていたのですが、かなり違いしまたね。
これが野島浜灯台です。市指定の建造物らしいですが、観光客は誰もいませんでした・・。
ネツトで調べた曰くでは、この建築は日本式木造灯明台で,味野浜と赤崎浜境の入江の埠頭にあり,文久3年(1863)に塩釜明神の御神燈として,また,浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられました。
この地は野崎武左衛門が創始した塩田地帯の東端に当たり,かつては野崎浜と呼ばれ,塩の積出しをする船着場になっていました。
灯明台は桁行1間,梁間1間で,宝形造,本瓦葺の屋根には露盤の上に宝珠が据えられています。高さは約9.7mで,灯室の周囲には欄干を巡らし,その下から四面に裾開きに焼板を張り,基礎部分には花崗岩の切石を用いています。
こうした木造高灯籠形式のものは全国的にも少なく,西洋式灯台に変わる以前の灯台を知ることができる資料として,貴重な遺構となっています。
と言うことですが、見るべき値打ちは・・・・ですねぇ(-_-;)
子供が小さいときに瀬戸大橋に来た時に連れて来ました。瀬戸大橋も一時の人気が衰えて観光名所というわけではなくなりましたね・・。
四国まで短い時間で渡れます。かつては宇野~高松への宇高連絡船が四国に入る唯一の足でした。陸続きになって確かに便利にはなりましたが・・。連絡橋は高いですよ。値段も海面までの高さも・・。
少し晴れ間がのぞいてきました。鷲羽山は確かにきれいなのですが、退屈さに飽きてしまいます。
で、ここからまた倉敷市街へと来た道をひた走りです。景観地区は市街地の真ん中にあります。
駅からでしたら元町通りを歩いて7・800メートル南です。歩いても知れている距離です。電車で来られる時は参考にしてください。
ワタクシ事ですが、車とバイクの保険は長年某保険会社の倉敷支店扱いです。この街の、友人が経営している代理店の顧客なので仕方ありません・・・。
思ったより綺麗な景観です。最初は「どうせ映画村だろうな・・。」と思っていたのですが、ごく普通の生活が根付いている普通の街が景観地区になっていました。
森屋元気君のブログにも出てきますね・・。確かに綺麗なところです。
こんな風景って好きです。(^-^)
な、なんや~~~この手は・・・。誰かの手が映り込んでいました。
手 : なんや、あの連中は・・。支那国の奴らかいな・・。
ホンマ、ウザイわぁ・・・。
とか何とか申しているのではないですかねぇ・・・。どうも何処かのオッサンの手のようです。ワタシではありませんよ・・・。(-_-;)
街の様子が実にいいですねぇ・・。
カメラを構えていると、他所の夫婦者らしき人が勝手に入り込んできました。もう一緒でいいや~~と写してしまいました。ウィンドウだけ撮りたかったのに・・・。
観光客らしき人が3人、地図か何かを見ながら思案をしています。
何気ない他人さんの様子も楽しいですねぇ(^-^)。ちと悪趣味かも知れませんが・・。
街の中です。
路地までパチャ・・・。
こんなウィンドウいいですねぇ。
生活感があふれる街が自然でいいのですよ・・。映画村には生活感はありません・・。
こんな景色もいいですねぇ・・。
ここからひな人形展をやっていたお屋敷に入り込んで・・・。
次もひな人形展です。大きなお屋敷の中に、これでもかぁ・・・これでもかぁ~~とばかりに雛人形が展示されていました。雛人形って綺麗だから好きです。でも数枚は不気味な人形も写っていましたので消してしまいましたが・・。
倉敷景観地区は考えていたよりも楽しいところでした。倉敷って、水島の工業地域の雰囲気があったのですが、いやぁ・・・こんな所もあったのですねぇ。
毎年、何度も山陽道は走りますが倉敷で降りるこは全くありません。吉備のパーキングで休むくらいです。
一度は来てみる値打ちはありましたね・・。