2016.10.29 東京鉄道博物館 ③
やっと11月になり更新できました。では、鉄博の続きです・・。
団子鼻の新幹線です。ボランティアらしいGサマの説明を一組の家族ずれらしい人達が聞いておられました。
これですわぁ・・。始めて新幹線に乗ったのは名古屋まで大学受験に行くときでした。もう朝一番の新幹線に受験という事もありワクワク感はなかったです。
ホンマ、こんなのでしたね・・。
まだ、大学生になった時も4時間かかっていましたよ。ずっと後ですよね、時間が大幅に短縮されるようになったのは・・。今では日帰りなんて当たり前ですからね。
「死んだ医者」・・・。では無いです。「寝台車」です。よく乗りました。懐かしいです。一番多く乗ったのは「日本海」でした。青森から大阪までは必ず利用していました。寝て帰れるのが魅力です。西鹿児島から乗った春に、国鉄のストライキで2時間以上遅れが出て、特急券が払い戻しになりました。ラッキーでした(^-^)。九州旅行の帰りでした。昭和49年4月8日です。
係の人がこのようにセッティングしてくれます。寝台車は座席が3人ですが広々と座れるのが特徴でした。
こんな風にカーテンしめて、カーテンの隙間から車窓を見ていると、流れていく景色の中に様々な人々の生活が垣間見られました。家族の団らんや、また通夜の様子であったり、夫婦げんかが行われていたりと、一軒一軒違った生活の営みがありました。
それを見ていると、とても侘しい気持ちにかられたものです。走馬燈のように・・と言った方がいいかも知れませんね。懐かしい思い出です。
こんなのもありました・・・。
開拓使と書いてありますがいつの頃なのか・・・・。
一階は一巡しましたのでエレベーターで屋上に出ます。
東北新幹線が屋上から見られるようになっています。プラレールが、いえいえ・・・、ニューシャトルが走ってきました。(^-^)新幹線に寄り添うように、邪魔にならないようにひっそりと場所が確保されている・・なんて微笑ましいです。
室内に戻ると・・、こんなステンドグラスが・・。ステンドグラス作家の今西センセ見ていますか?(^-^)。あなたの作品は・・・・。無いなぁ・・・。
これはやはりプロの作品ですよね。そう言えば今西センセ、まだ別荘の仕事場にお籠もりかなあ?。たまにはお茶でもご一緒しませう・・・。連絡しますので・・。(^-^)
2階にはジオラマの部屋がありました。このジオラマよりも恐ろしいジオラマを完成させた模型屋のオヤジがおりましたねぇ・・。千葉のミドリ模型のオヤジ・・、まだ生きてるのかなあ?。まあ、どれたけ凝るのかというようなすさまじいものでした・・・。ありゃ基地外の域ですよ・・。何しろ他人に見せるのさえこばみます。列車を動かす時には鉄道員の制服に帽子ですよ・・・、コントローラーが、また列車の運転席そのもの・・。言葉が出ないです・・・。やはり基地外そのものです・・。と、褒めていますので(^-^)。
新橋駅の模型です。開業当時みたい・・。
こんな機関車だったとか・・。エゲレス製です。当時は機関車の運転手はお抱え外国人のエゲレス人でした。
これやな・・・・。(^-^)。
線路は現在の線路と異なり、すり減ればひっくり返してまた使うという両面使用です。ただ、これのデメリットは犬釘で留めることが出来にくいため、両側から挟み込まなければならず、段々とこの形は使われなくなったようです。安定悪すぎ~~~。
こうして資料を見ているだけでも時間の過ぎるのを忘れてしまいます。車両だけで無く、古い資料が意外と面白いのですよね・・。
二階も当然二度目ですが(^-^)、飽くことなく楽しめました。いや、入館料の元を取ってやるぞ・・とばかりにしっかり見て回りましたよ。
何度も行くのはためらわれるにしろ、やはり一度は見にいくことも向学のためにはいいかも知れません。だけど・・・、関西からは遠いです。いくら片道2時間半の世界になったとは言え、距離感は半端ではありません・・。上京の折に、ついでに行ってみるのが正解かも・・ですね。