2013. 7.28 奥入瀬から岩手の中尊寺へ
十和田プリンスホテルです。庭のきれいな落ち着いたホテルでした。プリンス系は何処もきれいですよね。新横浜のプリンスも新高輪のプリンスも落ち着く雰囲気でとても好きです。
おっさんになればユースは全く泊まらないですよ・・。
この夏に桃岩に泊まったぐらいです。大抵シティホテルです。(^-^)
これ十和田湖の様子です・・。走りながら撮るのが難しいです・・・。
で、着いたのが奥入瀬渓流。
雨の後で水量が増えていました。奥入瀬は十和田湖に流れ込むのではないのです。十和田湖から焼山まで14㌔を流れています。以前はこの14㌔を歩いたのです。
何しろ若かったですので・・。今は少しだけにしましたが・・。(^-^)
案内板を写し忘れましたが、オンナ山賊が旅人を襲う云々・・・というものでなかったではないですかねぇ。そのアジトがどうのこうのと書いてあったような・・??。
美人であれば襲われたいように思えますが・・。背中に負ぶわせて、グサっとやられるのはやはり怖いですねぇ(^-^)。
瀧の名前はわかりません・・。
これが一番大きい銚子の瀧でしたっけ・・。
発荷峠からの眺めです。十和田湖唯一の眺望です。
ここから中尊寺・・・。始めてです。コンクリートの建物の中に「金色堂」が納められています。写真撮るな・・・と書いてあったので、内部は撮れていません。決まりはいつも守ります。(^-^)黙って撮ってやりゃよかったかも・・。
まるでプラモデルを連想させるものでした。金色堂って国宝なんですよねぇ・・。
さすが保存が手厚い・・・。
この中に「金色堂」があります。奥州藤原氏四代のミイラがあると聞いていたのですが、ミイラなんて無くて須弥壇に納められているようでした。な~んだ・・、とガッカリしました。藤原清衡、基衡、秀衡のミイラと泰衡の首はきちんと保存されているようです。ホントか嘘か見た訳ではないので断言できないですが、遺体はミイラ加工された後があるとウィキペには出ていましたねぇ・・。まっ、時代が平安後期にあたるし、加工していないと現代までにはとろけるチーズになってしまいますよね・・。(^-^)
これはネットで頂いたものです。ガラスケースに入っているのですよ。一説には鎌倉時代にはもう回りを覆われたようです。昭和に入って、解体修理も施されて、コンクリートの建物の中に納められ、しかもガラスケースに入れられて・・・というようです。平安期からそのままでしたらこの輝きはありませんからね。
これがホトケさんみたい・・・。何宗と聞かれたら言葉につまりますが、中尊寺は天台宗です。
天台中興の祖と言われる慈覚大師円仁の開山です。慈覚は地味な天台宗に嫌気が刺して、真言のド派手さをパクリ、密教のパフォーマンスを取り入れて天台宗をかき回したんですよ・・。意外と知られていない慈覚の姿です。それ以後、天台も真言も似たりよったり、まっ義兄弟みたいなものなんですよ・・・。最澄さんが生きていたら、きっと激怒したでしょうねぇ・・。そりゃ信長センセに比叡山は焼き討ち食うわけですよ・・。
まっ、これが仏罰なんでしょうが。(^-^)
能舞台です。
ミイラが見られなかったのが残念です。今度は日本のミイラツアーもしてみたいです。
で、何処に行けばミイラが見られるのかと言えば、山形県鶴岡市の注連寺に安置されている鉄門海上人の即身仏が結構有名です。このボッサマ、修行の妨げになるとかで、男根を切り取ったとか言われていますよねぇ・・。ワタシゃマネできませんが、一度見てみたいです。
か・・、かなり気味悪いですか・・・、こんなミイラが、言え言え即身仏が・・・今わが国に17体保存されています。
山形県が意外と多いのです。
ち、ちょっと食欲失せますかねぇ~~(。、)
やっぱ・・、ミイラツアーはやめとこう~~。