感動の古きよき時代 モノクロームフォト
ネットにはたくさんの古い写真をお持ちの方が投稿して下さっています。ご承諾も頂かないまま、大変失礼ですがここに紹介させて頂きました。涙が出るほどの、感動の場面がいっぱいです。古きよき昭和・・、段々遠くなっていきますねぇ。
まだ昭和40年代はこの駅舎でした。案内表示が国鉄時代を現してくれています。
大沼駅ですよね・・・。後ろが駒ヶ岳・・。
標津線 標津駅 もう無くなってしまいました。降りた日も遠い昔です。
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連絡船華やかな頃の宇野駅。今の宇野駅は後退して小さくなってしまいました。東京からの夜行寝台車が着くほどの大きな駅でしたのに・・。
西鹿児島駅です。いまはもう無くなりましたね。「鹿児島中央駅」になってます。
まさに硬券(^-^)。懐かしい・・。
大阪駅ですよね・・。山陰線のホームですよねえ。
国鉄バスと
中央バス
C62-2 有名な個体ですよ。梅小路蒸気機関車館で動態保存されていますよ~~。つばめマークがシンボルです・・。
懐かしいなあ・・。函館本線のとある駅の光景です。こんな風に弁当を買っていました。函館本線は車窓に針葉樹が広がり、本州と打って変わった景色がまさに「北の国」でした。
大阪駅、見えませんが左手が赤煉瓦の中央郵便局。かなり昭和の古い写真です。市電が走っています。昭和始めくらいかな・・。
この成人の船に乗った人達、もう現在はリタイア組だね・・。かつての青年も夢の夢です。オニイさん・オネーサン達、もう70オジジ・オババだね・・。すみません、口の悪い事を言って。
なっつかし~~。思案橋です(^-^)。次のブログは長崎を取り上げようかなあ。
これも後ろが駒ヶ岳に思えます。と言う事は函館本線の大沼付近、上り線ですよね、山の角度からすれば・・。
これ今は無き大阪城東貨物線です。現在複線化の工事中です。国道1号に昭和48年頃まで踏み切りがあったのです。マニアの写真スポットでしたね。
弁当で一番好きなものは東北本線の黒磯駅「九尾の釜飯」でした。横川の釜飯も好きでしたけど、黒磯駅に汽車が止まれば窓を開けて必ず買っていました。紅ショウガだけを放りだし、栗を一番に食べてメシをかき込んで~~セルロイド製の、細い紐のついたポットのお茶を飲んで・・・なんて、学生の身では贅沢な気持ちでした。まだあるのかなあ・・、九尾の釜飯は・・・。
何年か前に軽井沢に行った帰り、横川の峠の釜めしを買ったけれどうまさより懐かしさでいっぱいでした。容器は棄てずにお持ち帰りしました。(^-^) いま、ワタシの宝物になっています。これで釜飯を炊いてみましたが、やはり味の再現は難しかったですよ。
時々、とんでもないものが出てきます。青森の新町のコロンバンのマッチのラベルとか煙草のチェリーの観光ラベルなど、大事に取っているのに自分でも驚かされます。コロンバンもう無いみたいです。これも15年ほど前に再び青森に降り立った時、歩き回って店を探したのですがとうとう見つかりませんでした。
蒸気機関車は茶色い客車を引いて、ワタシがまだ学生時代には走っていました。山陰線の鈍行に乗り京都までのんびり旅を楽しんだことが思い出されます。
トンネルに入ると悲惨でした。夏場でもクーラーなんて無く、JNRのマークを付けた灰色の扇風機が回っているだけで、窓からの風が唯一の空調でしたから、開けっ放しの窓から煤煙が車内に入り込んでくるのですよ。だからトンネルに入れば窓を閉めなくてはならなかったのです。それもいい思い出です。(^-^)
入り口は前方と後方の2カ所のみ。走っていてもドアを開けていればカーブで揺れてバタンと音を立ててしました。走っていてもドアが開くのが楽しかったです。今では考えられないのどかな時代でしたねぇ。