2016.11.20 福知山線廃線跡を歩く <後日に昔の写真を掲載し加筆をしています>
やっと12月になりました。今日から更新できました。(^-^) しばらく写真の更新も無ければ火が消えたようでしたね。
秋も深まりゆく一時を、自然の中を歩いて満喫できました。ただ、新聞に廃線跡が整備されました・・と出たためか、恐ろしい人出でした。ここは4回目になりますが、ほとんど歩く人もいない所でしたので、この人の波にはひたすら驚きでした。まるで渋谷のホコテンでしたよ・・・(^-^)。ヒャア~~。
生瀬の駅です。人も少ないように見えていますが、実は~~です。右はトイレ・・・、すさまじい人の列でした。
駅の中で、これから歩く人達です。
見て下さい~、この人・人・人・・・。途切れることなく先へと続いています。
みんな懐に夢を持ち・・・かなあ?。黙々と歩いています・・。
新線を電車が行きすぎます。
10分・15分ほど歩いて、中国道の下をくぐれば信号機のない交差点に出ます。車が途切れることは無く、人も途切れることもなく・・・「えぇぇぇ~~い。」みんなで渡れば怖くない!とばかりに、勇気ある少年・・・、ではなかった(^-^) G&Baの厚かましさですよ・・。
昔はこの左手の道が旧福知山線でした。単線です。ここが入り口になっています。
以前はここに注意喚起の但し書きがありました。怪我しても責任持てへんぞ・・、覚悟して歩けよ・・、てなお触れです。
みなさん作戦会議中・・・。
こちらに気づいたと見え、媚びを・・いやいや(^-^)、笑顔を向けてくれています。
パシャ~。
歩き出せば向こうから来る人も多く・・・・。
武庫川の流れも少しづつ勢いを増し・・・、
この岩石は・・、2億年から1億年前のものです。時代で言えば 2億年前のジュラ紀・二畳紀頃はこの辺りは海の底でした。海底が隆起して泥岩となってこの渓谷を作り上げたのでしょうねぇ・・。そこに時代が進むごとに1億年前の白亜紀頃に、火山噴火による流紋岩溶結凝灰岩・・・、簡単に言えば火山灰ですわぁ、これが降り積もり熱と圧力で固まったのですよ。
そう思えば神秘の世界の渓谷なんでしょうねぇ。(^-^)
もと線路は取り払われて・・・、
秋の気配はさらに深まり、流れの冷たさと枯れ枝は初冬を思わせ、
岩場に生えた木々もすっかり精彩を失い、
冬のにおいさえして来るようです・・・。
いくつものトンネルがあります。
スマホで写真を撮られているのですかねぇ・・。横顔が素敵ですね・・。(^-^)
オッサン・・、いえいえM先生も精悍なご様子に写っていますよ。
明度上げておけばよかったですかねぇ。
トンネルを出るとこんな世界が・・・。
どんどん道は続いていきます。
枕木が埋もれて残り、廃線のわびしさが出ていますね。
以前はもっと寒々しい、取り残されたような様子だったのですよ。鉄道の廃墟とも言うべきもの悲しさが漂っていましたが・・・。
さあ、ここで記念撮影です。なかなか、皆さんいいお顔です。(^-^)
この写真ブレているのですが、何となく絵になっているので載せてみました。
絞り優先に、当然ローシャッターです。手では持てません・・・。
言葉がいりませんねぇ。
この寒い日にカヤックの人達。皆さんオジサンでした・・。
廃線跡は子供からGさんBさんのハイキングまで幅広く人気がありますねぇ。
整備されてから鉄橋に橋が掛けられてしまいました。
これが昔の鉄橋でした。横の保線用通路を歩いて渡っていました。
こうして保線路もふさがれて・・・、今は通ることも出来ません。
家族連れで賑わっています。以前はこの辺りはこんな広場になっていなくて、ただ広い空間が広がっていました。
まさしく落ち葉が晩秋を思わせます。この辺りから段々山の細い道に入り、ゆっくり曲がりつつ道路まで続いていたのですが、
現在はこんな工事が行われて、昔の面影は影を潜めてしまいました。整備されてから風情が失われたようで無念です。
この川に沿って道が続いていたのですよ・・。
紅葉が何とも言えないです。
武田尾駅の手前に来ると、こんな列が・・・・。トイレの列です。(^-^)駅にも小さなトイレしかありませんからねぇ。
武田尾温泉も寂れました。
これを渡り、右に折れてからしばらく進み、また橋を渡りこちらに戻ると足湯があります。
M先生、携帯に夢中です。(^-^)
まだかな・・・、まだかな・・、と皆さん根気の行列です。廃線の途中ではトイレはありませんからねぇ。オッサンなら「緊急消火」が出来るポイントが一カ所だけありますがこれは秘密です。(^-^)
駅に着きました。いまはバスのロータリーになっています。ここで思わぬアクシデントが・・・。
このトンネルを撮り、
ついでにこれも撮って・・・、
人もいないし、ふと一服と火をつければ・・・、
「オッサン、何煙草吸うてんねん・・・。こら警察呼ばなあかん・・・。」と奇妙な
奴にからまれました。(^-^)
「はあ?」
「110番するからなあ・・。」
「オマエ、正気か?。煙草吸って何の罪になるねん馬鹿・・・!。」
やにわに二つ折りの江戸時代の携帯を出すとこいつ・・・、
「モシモシ、大変です・・、変な奴が煙草吸うてます・・、すぐ来て下さい。」
と110番したのですよ。
「オマエ、止めとけ警察もオマエに付き合う暇はないし・・・。」とワタシの目が点になれば、
「なんか絶叫して暴れとります。」ときましたよ・・。(^-^)
「ハイ、故早死と申します・・。」と電話の応対は至ってお利口に出来ていましたが、ちょっとこいつ普通と違う・・・と気がついて、
「オマエ、アスペかただの馬鹿か?。」とまたワタシがからかったように聞いたものですから、こいつ・・・
「オレはホーセイ出てる・・。」とリュックから英和辞書を出して単語の朗読をするのですよねぇ・・・。普通、まともな者がハイキングに来て英和辞書なんて持って来ませんからねぇ・・。やっぱり馬鹿かぁ・・と思い、
「何処の縫製や、、放生も方正もいろいろあるが・・。」とからかえば、こいつには意味は通じませんでした。市ヶ谷のホーセイは、ワタシも実は大卒後に単位を取るために在籍した事があるのですが・・。もちろんこんな事は言わずです。(>_<)
さらに。次から次と駅に来る人に、「こいつ煙草吸ってましたぁ・・、いま警察呼んでます。」とひたすら声かけ。もうここまでくれば、まぎれもなくビョウキです。
まあまあ、ワタシはこいつにもうかまわず、バス停に座り遅れている友人を待ちます。友人達が着くよりやや早く、30分ほどしてパトカーが到着しました・・。(^-^)
「お~~い、ここです。ここです。」とパトカーめがけて手を振りながらアスペは走り寄り、「こいつです、こいつです。」ともう鬼の首を取ったような勝ち誇りの自信。
警官が来たために、「ご迷惑をおかけします・・。」とワタシ。
「殴ったり暴行はしていませんか?。」と警官。「ワタシは何もしておりません。」
「それでしたら了解しました・・。」とこのアスペには、「こんな事で110番しないで下さい。」と注意してこの件は終わりです。警官は職務上、事件性があればと気になり来たようですねぇ・・。
ちょうどバス停でバスを待たれていたご年配の上品なお婆さまとお嬢様が、「どうかなさいましたか?。警察の方がこられていたようですね。」と声をかけてくださいました。
事情をお話すると、「大変でございましたね・・。」とねぎらってくださり、この方達のお心づかいでとても気持ちが休まりました。
丁寧にご挨拶をして、友人達もそろったし駅に向かうと、お嬢様が走って来られて、
「いやなことはこれでお忘れくださいね。」とチョコと爽やかな笑顔を下さったのですよ~~。(^-^) ホント、ワタシには舞い上がるような喜び・・・(^-^)、菩薩さんが現れたような気持ちでした。とても優しくて美しいお嬢様でした。ワタシが手を振ってお礼を申し上げたら、手を振ってこたえて下さって、感激ひとしおでした。
アスペは警官に叱られてから、さらに長くなった列に並んでいましたねぇ・・・。しかし、こいつ一体何だろう?、後から考えれば不可解そのものですよ。
まあまあ、このアスペが現れたおかげで菩薩様が助けて下さったのですから・・・。(^-^) 天にも舞い上がる嬉しさでしたね。でも、写真も撮っていません・・。急にカメラ向けるのも失礼だと思い、それはひかえておきました。
このブログに気がつかれたらいいのですけれどねぇ・・。改めてお礼を申し上げたいです。
駅に上がればこんなに人です。何しろ切符の販売機が1台しかないのです。
もう列が駅からどんどん長くなっていきます。切符を買うだけで40分並びましたよ。
これが戴いたチョコです。これ以上のお返しがしたいですよ・・・。(/_;)
たまたま駅についた時に、まだ短い列を写した中にアスペが写っていました。矢印のこいつです(^-^)。頭頂が禿げています。アスペでも禿げるんだ~~。(^-^)
「で、おまえ何をしている奴なんだ・・。」とワタシが聞いたら、
「オレはナントカ教の男子部だ・・。」なんて言ってました。聞いた事も無いような宗教団体でしたね・・。S学会にも男子部というのがあると聞いていますが、ワタシの知っているS学会の青年達は皆さん爽やかな方ばかり、こんな変なのはいませんねぇ。
仮に、ワタシがポイ捨てやって知らぬ顔でも決め込んだら、きっとその青年達は黙ってひらって片付けて・・・、もうこちらの方が赤面して平謝りになるようなそんな人達なんですよねぇ、一度こいつの・・・故早死とやらの教団をのぞいてみたいです・・。(^-^) でもこいつ40は越えているだろうに男子部とはいかに・・・。???
まさかぁ・・・、「時代の背後にあるシナリオを読み解き、高度に形而化された活動をしておる・・・。」なんて一見すばらしい言葉なんですが、ひとつひとつ考えたら言葉の羅列にすぎない、狂ったことをのたまう団体ではないでしょうねぇ・・。(^-^)
アスペには、もう関わりたくはないですわぁ・・・。
不思議な一日でしたよ~~~~。汗!
~おまけ~
ホントの廃線跡を載せておきますからねぇぇぇぇ・・・。
歩き始めのところです。
ワタシが写真を撮ったトンネル。
こうして注意書きも残されたままでした。
緑が深くて怖いくらいの様子です。昼でも不気味です。一人で歩けますかぁ(^-^)
このトンネルは朝鮮人の亡者が出ると言われています。
一番長いのは、何人もの人が昼間にも見たと言う話です・・・。
誰もいないトンネルは短くても不気味です・・・。
もうこんな所も無かったですよね・・。これはさらに武田尾から先です・・。
旧武田尾の駅です。
このトンネルも怖い・・・。ハイキングコースからさらに先です。
こんな警告や・・・
こんなトンネルも・・・、
こんなのも・・・
ずっと放っておかれていました。ここには今はたどり着くのが困難になっています。
駅から先も以前は細い、茂みに覆われた道があってホントの廃線廃墟が点在していました。それをやはり見てこそ廃線跡散策なんですが・・・。
オッサンは三回行ったんだぞ~~。写真は他人さんのをお借りしました。
ひゃあ・・、まだ書けるのですよ・・
写真は後で追加しました。血染めの掛け軸です。
写真は拒否られても文字は、まだ入ります。で、規定の300Mってこれは画像だけのことなんでしょうかねぇ?。
いま、ネットで京都国立博物館のイベントを見ていましたら「坂本龍馬没後150年」をやっている事を知りました。明日27日までなんです。明日行きたいですが、雨の予報だし、ジャパンカップはあるし、まあそれは東京の事にしても競馬開催は京都でもあるので京阪は混み混みだろうし・・・、ついでに京都までは遠いし・・・と、どうしてもっと早く開催日を調べなかったのかジレンマに陥りました。
さ、最終日は・・・極めて人が多いだろうなあ~と、これも二の足を踏む要因です。
この夏に福山で、龍馬が伊予大洲藩から借りだした「いろは丸」が備讃瀬戸の六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩の明光丸(887トン)と衝突して、近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしたものの、浸水のため宇治島沖で沈没・・、その遺徳を称えてか観光商売のためか、福山市の渡船として復元された「平成のいろは丸」に乗船しましたから、龍馬にはきわめて興味津々なんです。歴史上の人物は美化されて、余りに不可解なところが多いので話半分二割引きで、斜めから見てしまうのですよね、ワタシ。
龍馬についても多分にそうで、どうして亀山社中の運転資金にしろ、あれだけの抱える若造の生活費にしろまかなえたのか、莫大な武器弾薬の調達資金の不明朗さが現代でも解明できないのか、これも気になるところです。
大人物なことは確かとしても、大いに山師でもある人物ですねぇ・・。
いやいや、そんな事はどうでもよくて・・・そうじゃ無くて(^-^)、説明書きに「この展覧会では、直筆の手紙のほかに、龍馬の遺品として有名な血染めの掛軸や屏風、坂本家の家紋入りの紋服、土佐でもらった小栗流の剣術免状、近江屋で使った海獣葡萄鏡などを一部屋に集めて展示します。」とありましたから、それで大いに興味を持った訳なんですよ。
それに、ぜひ見たかったのが梅椿図、別名を血染掛軸と言い、旧板倉、淡海槐堂の筆です。淡海槐堂って皆さんなかなか名前も存じ上げないと思いますが、幕末の人物で武家官位を戴く要職者でもありながら勤王の志に篤い支援派・・・、しかも慶応4年に新政府の要職に取り立てられて大津裁判所参謀にもなった人物です。
結局、幕府体制下の人物でありながら気持ちは反幕府派。しかし新政府側ともソリが合わず、要職期間も短かったにせよ槐堂の能力が、反発する新政府にも認められていた・・・というのは相当な人物だったのですよ。血染め・・、いや梅椿図は坂本龍馬の誕生プレゼントに槐堂の直筆で贈ったと言われているんです。これは重文ですからねぇ・・・。 とても見たいのですが・・・。
そうそう、言い忘れましたが、どうして血染めという名前で呼ばれているのかですが、この掛け軸には血痕が付着していて、それが襲撃を受けた際に付いた龍馬の血とされているのですよ。だから「血染め」です。何とも物騒な話ですが・・。
行こうか止めようかと、いま気持ちがぐらついています。
外はいま雨・・・・。予想も雨だし・・・。
では・・・。また。
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な、なんと・・まだ書けるじゃないですか・・。
写真の投稿だけが拒否されてしまいます。一枚1メガ程度に圧縮されているのですが、それでもダメなんですねぇ。大体いつも1ブログに30枚から40枚程度を載せて、これでグン・・と重くなって文字が入りづらくなってしまうのです。
でも、文字だけなら意外と拒否されないのには驚きでした。
今日は兵庫県丹波市まで墓参りに行って来ました。幸い天気のよい日で暑いぐらいでしたからセーターも脱いでシャツも腕まくりして丁度いいくらいでした。
車の中には暖房が入っていましたが、温度を落としても寒くも無く快適に過ごせました。高速は行きだけが混んだくらいで、まあ中国道は山口ジャンクまでは結構混みますからこれも違和感もなかったです。
墓参りの前に、街の中に・・・・、と言うか離れた田舎に・・と行った方がいいのか、これは悩む言い方になりますが、ともかくド僻地にある「夢の里やながわ」という店舗に寄ってから行きました。丹波栗の菓子が有名とか、いろいろ聞いていたのですが、まあアレ・コレ~と購入し、ついでに丹波シュークリームを5つ買って見ました。
後で気がついたのですが、ここまで行かなくても梅田の阪神デパにも店があったのですよね・・。何と言うお馬鹿な事を・・・と思いましたが、まあ墓参りに来たついでだし・・ドライブがてらいいかな~と、不可解な納得で店を後にしました。
墓参りして、昼を地元で食べてから帰路につきましたが、朝8時に出たにしては早いぐらいの午後3時には帰り着けました。
明日は雨の予報。出かけるのにはもってこいの日よりでした。秋も深まり紅葉が実にきれいだったし、山には低く霧がたなびき、素敵な山里の光景でした。
毎日、日記のような形でつまらないです・・・(。、)。
このブログの一番の主役は写真です・・。「絵」がないと「えぇぇ~~~。」っと思ってしまいますよねぇ。(^-^)
今日も書けるかなと思いつつ・・・。
文字なら何とか入りそうです。しかし、画像が掲載出来ないからつまらないですよ。
今日の昼は天満の、「天満のとらやん」と言うマグロ食堂に行ってみました。昼のサービス、鉄火丼は味噌汁付きで500円でした。きはだマグロでしたが「生」でしたし、これでもか~~というくらいにブツ切りマグロが乗っていて、しかもご飯まで大盛りはコスパ「高杉」さんでした。(^-^)ラッキー♫
市内は車を使うより足には便利なのでバイクで走り回っています。扇町公園にバイクを入れて、プール横に置いて歩いていきました。
昨日は同僚に誘われてチェーン店の「木曽路」ですき焼き御膳ですが、これで1300円弱よりは今日の鉄火丼の方が遙かにインパクトがありましたねぇ。
天満は大体が安い店が多いです。それを探して歩いてみるのも嬉しいものです。
この間行った、日本橋のペリーのいくら丼もうまかったのですが、思ったよりはイクラが少なくて多少ガッカリでした・・。1㎝ぐらいのイクラの層かと思いきや、きれいに一粒づつ並んでご飯を埋めていたぐらいでしたから・・。いくらのWにすればよかったのかな~~とこれは後悔でした。
食べログに出て来る店がすべていい訳ではないですよ・・・。と言うのも、美章園の高架下にある某中華屋がテレビのルポで出た時に、余り売れていない芸人が、「ここのラーメンうまいですねぇ・・。」なんて大層に言うものだから、一度行ってみるか・・と顔を出せば、ラーメンは延び気味、もやしと子猫のお耳より薄い焼き豚とネギが入っただけ、見た目も味も薄い色の醤油系できわめて「平面的なラーメン」でした。これにはとてもガッカリでしたね・・。
しかも、出汁は鳥の生臭さが残り、ついでに頼んだ焼きめしも塩が不均等で、味の無いところにやたら塩カライ部分があり・・・とここまでくればまさに「最悪」でした。
まだワタシの作るモノの方がうまいくらいです。
これを正直に食べログの評価に書いたのですよね・・、即刻消されてしまいましたけどね・・・。
ラーメンにはワタシは大量の胡椒を入れます。しかし、ここの店カウンターの胡椒瓶は湿って固まったままで、いつ入れ替えたのかも定かで無い状態でした。
何しろB級グルメですから(^-^)、あちこち走り回っています。思わぬ店を見つけるって、とても楽しいですよ・・。今日はやたらローカル過ぎて申し訳ないです・・。
今度は四国の「ひばり食堂」も行ってみなくては・・。国道32号沿いにあるらしいのですが、たまに走るのに気がつかなかったです。カツ丼がうまいらしいです・・。
ぜひ全国の、ワクワクする店がありましたら、皆さまから教えて頂きたいものです。(^-^)
何も載せられないのに・・沢山の方に(^-^)
毎日ご覧頂いて有り難うございます。ひゃあ、これだけ見て頂けるとは心苦しいばかりですよ。
で、日記になってしまいますが一言書かせていただきました。
今日はやたら寒かったです。外に出るのが嫌になるほどでした。関東では11月というのに積雪で、随分大変だっただろうと思います。積雪嫌な思い出がありますよ・・・。若い時に、FFのアコードに乗っていたとき、信号で止まるのにブレーキを踏んだらグリ~~っと180度回転して、後ろ向きになってしまった事がありました。
これは九州の郡部にいた時の話です。景色がゆっくり回りながら動いていくなんて、まさに冷や汗そのものでした。思わず後ろの座席を見ればママさんと抱かれた赤ちゃんの目が二人とも点になっていました。いやぁ、何事も無くてよかったですが・・。
雪の日にはバイクでも何度もこけましたしねぇ・・。だから交通網が麻痺してしまうのは大変よくわかります。
それでも12月も下旬になると、若い人達が最北端の「宗谷岬」を目指してバイクで年明け宗谷を貫徹するのが「恒例」になっています。ワタシは恒例・・いや「高齢」ではありませんが(^-^)、やはりこれだけは出来かねますねぇ・・。
バイクのタイヤをブロックタイヤに替え、スパイク打ち込んでクーラントを不凍液に入れ替えて、防寒着を何枚も着込んでひた走るのですよねぇ。苫小牧から宗谷まで、夏場ならのんびり行っても2日もあれば走り抜けられるでしょうが、こと冬場で積雪となれば一日100㌔走るのが関の山ですから、4日は見ないと安全走行が出来ないと聞いています。
でも、外気温は-10度であっても体感温度は-20度・30度にもなりますから過酷な走行です。
でも、そうして冬の大地を走り抜けるのも夢があっていいですよねぇ・・。今年も宗谷を目指す皆さん・・、くれぐれもお気をつけて行かれてください。
トライク(三輪バイク)ならまだ安全でしょうが、それでも吹雪の中は大変すぎますよねぇ。
昔、二月始めに浜小清水の駅で降りて、地元の人にユースはどこですか・・と聞いたら、「すぐ其処。」と教えて頂いて、それが歩けば2㌔・・、30分の行程でした。重いリュック担いで、吹雪かれながら30分・・・、着いた時には顔なんか凍てついて話もできないほどでした。ひゃあ、もう死ぬかと思った・・・・・。
北海道の雪は下から降るのです。(風に舞い上げられて降るのです。)だから寒さは半端ではないですよ。
それが夏に同じところを歩いた時は、濤沸湖に浮かぶ水鳥・その側の放牧地で草を食む牛を見て、なんて優しい季節なんだろう・・・と冬の厳しさと思わず対比してしまったことが甦ります。
「中山記念浜小清水ユース」は今、「はなことりユース」と名前を変えているのですよねぇ。中山記念の由来って、この地の中山正男センセイのを記念してのことなんですかねぇ・・。
「馬喰一代」もう若い人は誰もしらないでしょうが、映画にもなった名作です。でも・・、直木賞作家の中山正男センセイは出身地が佐呂間で、育った土地は留辺蘂なんですが、浜小清水とはいかに???です。ユースホステル運動の推進者だったからですかねぇ・・?。
浜小清水も古い小さい駅舎から、現在は近代的な駅に立て変えられたようです。時代の流れですねぇ・・。
来年は超々久しぶりに小清水にも寄ってみるかな・・・と思いながら、ひたすら夏の旅を楽しみにしています。
段々打ち込みが重くなってきましたよ・・。もう文字も限界なのかも知れないです。では、この辺りで・・。(^-^)
魔法 耳 のひとりごと
写真が載せられないのです・・。m(_ _)m
更新まだ????・・・とメール頂いた皆さん、申し訳ないです。
11月の上限300メガに達してしまっていて、画像の更新が出来ません。
先日、福知山線の廃線跡を歩いてきました。まるで渋谷の歩行者天国でしたよ。(^-^)
び、びっくり・・・。その他にも目が点になることも・・。
12月1日には更新しますので、しばしお待ち下さい。
宜しくですぅ~~。
メール頂く時は、mahomimi@hotmail.co.jp まで宜しくお願いします。
追記
写真一杯撮りましたよ。すごく綺麗な紅葉もバッチリでした。
今回は27ミリ単焦点と50-200fcズームだけの持参でした。
このズーム、恐ろしく描写がきれいなことに感激しました。(^-^) 発色がいいですねぇ・・・。
てな事で、12月1日にお会いしたいと思っています。
2012.12.22 来月まで長いですねぇ、と掲載可能な3枚。
冬の軽井沢です。
夏とはうって変わり静かな気配です。ほとんどの店も閉めています。中には開けているところもありましたが閑散としていました。
冬には魅力が感じられないところでした。だって避暑地なんですから・・・。
街の中です。
駅からの道をあるけば此処に出てきます。
クリスマス前でしたから、もっと盛り上がりがあるのかと思いきや、ここは時間が止まっていましたね・・。
もっとクリスマスで盛り上がった賑やかな所にいけばよかったと後悔でした。
この頃は、札幌・函館はいいですよ・・。クリスマスファンタジーでライトアップされた札幌大通り公園や、函館ベイエリアの金森倉庫付近は人通りも多く鮮やかでした・・。
やはりクリスマスは北海道かな・・・。
冬の軽井沢、期待外れでした。やたら寒かった~~。
もうこれから4年経つのですねぇ・・。月日の経つのは早いですよ。
この4年間、何も「進化」しなかったワタシでした。
いつも来年は・・と思いを馳せ、期待をするのですが、一向に成長しませんねぇ・・。(-_-;)
むしろ退化している感じです。ガックリです・・(^-^)
来月までの間に、アップ出来るだけの写真をと思えばこれでストップしてしまいました。
まあ、日記がわりになっていいですかねぇ・・・。(^-^)
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今日、伊勢の写真は・・・・?と「近鉄しまかぜ」のご要望を頂いたので来月すぐに掲載します。
近場で、結構楽しめるのは伊勢もいいですけどねぇ。でも「しまかぜ」に乗った時にはおかげ横町は行かなかったですよ。パルケに行きました、パルケも開店休業みたいなものでしたが、それでも結構童心に返り・・・、(いや、馬鹿になり・・)楽しめましたよ。
伊勢は「まわりゃんせ」を買って、値段以上の周遊をすればお得なんです。
プランをご自分で立ててみるのもいいかも知れませんね。
ワタシ、若い時だけでは無く、長年の間に日本のかなりの町も村も足を運んではいますが、デジタルが入り込んで来る前の所は現在は掲載することが出来ません。ブログ内でもお話しましたが、おびただしいフィルムを処分されてしまって、復元はできません。ですから比較的年代の新しいものばかりになってしまいますが何とぞご理解下さい。
フィルムが残っていたら、スキャンかけて全部載せますのにねぇ・・。一度に30枚から40枚として、一ヶ月で400枚から600枚が限度。毎日書き続けても2年は悠にかかってしまう分量だったのですよ。
まっ、仕方の無いことですが・・・。
これだけはいつまでも心残りというか、忘れられないですよ~。
来月もぜひ宜しくお願いします。ご意見等は
mahomimi@hotmail.co.jp 魔法耳 までお願いします。